心の切り替えモード(ファーレンハイトって?)

アメリカでは、気温がファーレンハイトで表示されます。気温は体験と結びついた肌の感覚なので、心の切り替えがいります。ものさしを変えること自体はむずかしくないのだけれど、無意識的にバリアをつくっています。そのつもりならない限り、切り替えはできません。ここに新しいことを学ぶヒント、習慣をつくるために不可欠な技の秘密があります。

Learn to switch.(切り替えを学ぶ)

アメンボで想像のプラクティス②

ふだん無意識に使っている見方のフレームワークを変えるには?こんな実験をしてみましょう。目の前に、人さし指を上向きに出し、上からのぞくようなかんじで、左向きにくるくる回しながら、指を持ち上げていき、下から見上げると?いつの間にか、右向きになりますね。見る形式に従って、対象の認識が変化したのです。相手側に立つ、共感の力。

Use your empathy.(共感のチカラを使おう)

アメンボで想像のプラクティス①

スイスイと泳ぐアメンボの気分。それを想像できるのは、人間に共感の力が備わっているから。私たちは「物事が先にあり、それがありのままに入ってきて、それを認識する」と思っていますが、実は話は逆なのです。体験と想像の働きによって、物事をみる形式を身につけているのです。「アメンボがスイスイとしている」のは、心という現象なのです。

I’m a water slider.(アメンボの気分)

1本のロウソクになれ

マイケル・ファラデーは、ロウソクの燃焼で起きていること、呼吸によって身体内で起きていることは同じであると、様々な実験で明らかにしました。異なる物質どうしが親和して化学物質をつくりだす様子の観察は、いのちあるものと、じぶんとのつながりを学ぶ道になります。目には見えないものも、共感と想像の力で触れることができます。

Be a candle.(一本のロウソクになれ)

あたりまえフィルターをはずす (Don’t take it for granted.)

創造的に生きるには?特別なことはありません。だれにでもある、目と耳と口。どこにでもある、光と音と香り。私たちは、ふだんの世界に慣れきってしまい、ほとんどのものごとに「あたりまえ」というフィルターがかかっています。それをそっととりはずせば、身のまわり、じぶんのふるまい、みな不思議ばかりです。不思議は、創造のはじまり。

Don’t take it for granted. (あたりまえ、ではない)

ひと時の鏡にじぶんを写す

心の鏡ということばがあります。謙虚な心があれば、すべての物がじぶんの心を映す鏡になる、と。そうありたいものと思いつつも、ふだんは、すっかり忘れてしまいます。どんなプラクティスをしたらよいのでしょうか。「私」の人格を映すのではなく、まず、ひとつひとつの[ いま ] だけを、小さなふるまいで映す鏡がエンパシームです。

See yourself reflected in Empatheme.(エンパシームに映して、じぶんのふるまいをふりかえろう)

[いま] 瞬間の単位でプラクティス

なぜ、人生の最後になって、[いま] を生きる、というのだろう?それは「いま」の実感をかぞえられないから。実感するために使える道具がないから。これまで、[いま] を実感するための、ちょうどよい単位も、使える道具もありませんでした。ふだんの呼吸の時間で実感の数を数えられるように。それをできるようにするのがエンパシームです。

Why now?(なぜ、いま?)

落花生の都合

The way up and the way down are one and the same.(のぼり坂とくだり坂、どちらもおなじ道)

落花生は不思議な植物です。地中にカプセルをつくって実を結ぶ花。実は、土の中に、カプセルができるから、実ができるのです。カプセルができないと実にはならない。私たちは、どうも「原因→結果」と「手段→目的」という、後づけの考えに慣れすぎています。何でも人間の都合であてはめるというルールに。落花生はそんなふうに考えていません。

小さな時間の単位をつくる (Get Things Done)

Small things add up.

ものごとは、頭に抱えこむと、積み上がるばかりでなく、複雑化してきます。整理・片付け、事務処理にかかわらず、頭をクリアにすることで、大事なことを選ぶエネルギーが失われず、ポジティブな効果を生みます。秘訣は、2ー3分以内にできる量。手のひらサイズの、ひと時の[ いま ] 、じぶんの声でことばに「出力」することです。

すぐにイメージできることが「わかる」こと

「わかる」という感覚は、じぶんとつながりがつくこと。関連づけ、結びつきができることです。英語のUnderstandは「対象する物事や相手の、下に立つ」「相手の身になって関わる」という意味から来ています。対象となるものごととじぶんを結びつける、具体的な身体体験。それを後からイメージができることが「理解」になるのです。

You only understand something relative to what you already understand.