Empathemian, Union Lake, Minnesota

ジル・ハンソンさんの『マインドフルネス』の冒頭の一節です。

「最近、ある緩和ケアの看護婦から聞いた話。 彼女の仕事は、終末期の患者が人生の最期に、後悔に苛まれたり、死を恐れたりせず、残された「いま」という時間を最大限、意味あるものにする手伝いをすること。確かに、意味のある仕事だ。ただ、聞けば聞くほど、疑問が湧いて来た。

なぜ、それほどたくさんの人が、臨終を迎える段になって初めて 「いま」を学ぼうとするのか? 生まれてから死ぬまで、「いま」という瞬間以外に人生はなかったはずなのだが。。」

なぜでしょうか? シンプルに言ってみます。

それは、「いま」の実感をかぞえられないから。

それは、実感するために使える道具がないから。

古今東西、多くの先人が「いま」を生きる知恵のことばを残しました。 刹那(せつな)ということばも、時間自体が実体的に感じられるように編み出された単位です。 私たちがふだん使っている、時間の単位もローマ時代につくられました。

ただ、それらはふだん、直接、使えません。
意外にも、これまで、[いま] を実感するための、ちょうどよい単位、使える道具がありませんでした。また、使う機会もありませんでした。

ひと息の時間。ひとことの声がひびく時間。
ふだんの、呼吸の時間で、実感の数を数えられるように!「エンパシーム」は、そのための「」をつくる、単位です。

ひとつぶの[いま] をかぞよう。

出典:Gill Hansson 『Mindfulness』