ものに語りかける

「ものに共感のまなざしをむけ、語りかけることで、共感の土壌を培う。」というと「人間にだけ、共感すればよい」と思うかもしれません。しかし、それは知らないうちに「わけへだて」を定着させ、自他対立的に物事をみる習慣を強固にします。ものにやさしく接することができないのに共感の心を養うことはできません。人間以前の土壌がいります。

Interact.

エンパシームへの路(2)[存在のありがたさ]に気づく

20歳の時、父が病気で不随になり、声を発せられなくなりました。父が他界するまでの5年間、「ひらがな文字盤」を使い、手と息とまなざしで、ふれあうことを学びました。これがエンパシームの原点です。そのことに気づいたのは、10年前に姉が急逝したことです。その喪失感のおかげで、私ははじめて、存在のありがたさに気づきました。

ふれあいそのものが、ことばだった。

人間の言語の起源は、音声が先か、身ぶり手ぶりが先か?現代の私たちにとって、身体の自然、無意識的な動きと、声のことばによるコミュニケーションは切り離せません。身心のふるまいが表われて、声ことばになる。声ことばが湧き上がり、ふれあいになる。ふるまい全部がことば。ふれあい全部がことば。ことば以前に相手がいたのですから。

Interactions came before words.

エンパシーム「流れにゆだねて間をつくる」

静かにすわり、自然な流れにゆだねると、じぶんの姿勢や無意識のふるまいが、後でたどれる「タイムカプセル」になる。無意識のフチに表れる、まだ気づいていないじぶんを、鏡に映すようにふりかえり、それを意識化して、気づきやひらめきをうる、小さなデータ。じぶんに備わった力を引き出し「他者の寄りそう力」を結びつける、小さなメディア。

共に痛む

兄が痛みで苦しんでいるという話を聞いた。I feel your pain. 私にも同じ受難体験がある。滑液包炎。人間の体の関節には潤滑油の袋がある。それが炎症を起こす。問題は、違和感がある時に無理に動かしてしまう事で本格的に炎症を引き起こすこと。Compassionということばを思い出す。同じように痛みを感じること。

I feel your pain.

見えるものをしっかり見よう

『星の王子さま」に出てきます。「いちばんたいせつなことは目に見えない。」実は、見えるはずのものが、見えなていない、気づいていないのかもしれません。また、直接は目に見えなくても、何かに映して間接的に見ることができます。手でふれる、味わう、耳で聞く、体に響かす、声で呼び出す、心で察する、というふうに感じ取ることもできます。

身をもってつくる、じぶん情報

エンパシームは、姿勢の鏡。じぶん自身とのコミュニケーションを映し出す「じぶん情報」です。「姿勢の鏡」とは、身をもって、じぶんの後ろ姿を写すこと。エンパシームは、じぶんが親身になって関わる他者とわかちあう場をつくります。人の痛みをわかる、受け身の心、共感の心、ありのままを受け入れる姿が写る、オリジナルのじぶん情報です。

Do it with passion.(心をこめて)

I’m humbled. [心のとびらをひらく]

「未知の可能性をひらく」というと、何かたいへんなことのように聞こえるかもしれませんが、実はそうではありません。humbleになる時が、すでのその時です。humbleとは、何かに共感を抱く気持ちや、物事を素直に受け入れる姿勢です。humbleは、これまで知らなかったじぶんという「未知の可能性」の生まれる、心のとびらです。

I’m humbled. (humbleな気持ち)

身についたふるまいは美しい

「浜までは海女も蓑(みの)着る時雨かな」江戸時代の俳人・滝瓢水の一句。海に入る直前でも、雨には濡れないように、じぶんの身体をいたわる海女さんの姿に、一瞬ハッとして、じんわりと共感のまなざしを抱いた様子。蓑を着る海女さんのようでありたい。身についた、ていねいなふるまい。やさしく、遠くからみまもる時に生まれる共感の心。

What you see is how you feel.