エンパレットのカテゴリー Nurture 心を養う

手持ちの力で生きていく|スピノザのコナトゥス

スピノザは、「人間の本質は、その人の自然な力が発揮されることである。」と言います。そして、「どのように生きよ」という道徳や教育よりも、じぶんが手持ちの力で生きることを倫理として説きました。私たちには、相手と同じような存在であるという感覚、他者に共感できる力があります。それは制約の中でこそ活かすことのできる最大の力です。

You’ve got the power!(すでにその力があるんだよ)

全体こそ、われらの魂|エマーソンの詩より

つながりの中に、部分の中に、微細なつぶの中に、同時にわれらの中に、全体という魂が宿る。すべては分けへだてなく結びつき、われらは永遠なる全体と一体である。見る者と見られる景色さえ一つになる。ものごとをひとつひとつ分けて見ても、そのひとつひとつが輝く部分となる。全体こそ、われらの魂。その至福に、われらはいつでもふれられる。

The whole is the soul.

腸のじぶんに、共感。

人間の体を構成する細胞は60兆個ですが、微生物は腸内だけで100兆個。腸内はサンゴ礁のような生態系 (マイクロバイオータ)です。腸の活動は、気分やふるまいと相互に作用しています。腑におちるとか、ガッツフィーリング(腸の感覚)ということばがありますが、頭で考えてもわからないことを「腸のじぶん」は知っているのです。

Trust your gut.(じぶんを信じて)

愛語には驚くほどの力がある

道元禅師『正法眼蔵』は、四つの行いを説きます。布施(ふせ)見返りを求めない。愛語(あいご)やさしいことばをかける。利行(りぎょう)自分を忘れて人に尽くす。同時(どうじ)わけへだてをしない。愛語は今できます。人からかけてもらった、やさしいことばを思い出して下さい。そのことばを声にして発するのです。驚くほどの力があります。

Thanks you. (ありがとう)

言語の出生地|耳と目の結婚②

耳は聞く役割、目は見る役割。それぞれ別系統で情報を入力しています。大脳皮質の中で、目から来た情報の波と耳から来た情報の波がぶつかるところに発生するのが言語です。別々の情報経路を共通にできるのが人間の脳。そのようにしてことばは生まれ、人間は進化しました。耳と目の結婚によって、ことばは五感と結ばれ、全身と一体化しています。

Ears and eyes got together and created language.(耳と目が結婚してことばが生まれた)

じぶんは、対話でできている|内なる声と生きる

ふだん、ことばが先にあり、それでやりとりすると思っていますね。実は、他者との、ことば以前の対話からことばは生まれます。その逆ではありません。対話性によってことばを獲得します。私たちは相手とやりとりすることばと共に生きていて、それが内なる対話もつくります。脳内に声で発するインナースピーチで対話する存在。それがじぶんです。

I am the dialogue with myself.(対話がじぶん)

克服とは、新しい意味をつくること|草間彌生・水玉と鏡

草間彌生さんは、じぶんを苦しめる幻覚や強迫イメージを、水玉や網にして表し続けました。消すのではなく、カタチにして、関係を変える。草間さんは「self-therapy」と呼びます。表すことは、芸術家だけのものではありません。声にする、書く、描く、つくる。克服とは新しい意味を生み、じぶんと世界との関係をつくり直すことです。

My life is a dot lost among thousands of others.(私の人生は、無数の水玉の中のひとつ)

耳のことばは、時をかけて響いてくる|母のことば

「十字架を背負って生きるのよ。」そのことばはいつも私の心にありました。長い間、「重荷を克服して生きる」という励ましに聞こえていました。30年がたち、あの日のことを書きました。描いてみると、ずっと脳裏にあった光景を、じぶんの外に置くことができました。十字架とは重荷を担ぐことではありませんでした。そのことに気づいたのです。

You’re not alone.(ひとりで生きているのではない)

解決できなくても、克服できる|絵本・童話に生きる共感⑥

『スーホの白い馬』より。白馬はこの世のいのちはなくなったけれど、モリンホールという楽器の音色になって、スーホと共に生きます。私たちは、人間であれ、馬であれ、ものであれ、「こころの世界」でも生きています。悲しみを解決することはできません。だからこそ、生きることのありがたさを学び、克服するという知恵を身につけられるのです。

You are not alone.(共にいるよ)

大理石になった空|ことばを移すと体験が生まれる②

「空の色が濁りました。」夏目漱石の『三四郎』の一場面です。透き通る藍が薄くなり、その上に白い雲が鈍く重なり、乳白、灰青、薄黄が溶けあう。「濁った空」は、光の散乱によって実際に起こりうる空の姿でもあります。けれども、三四郎はその空を以前にも見ていました。変わったのは、空ではありません。「濁る」ということばを得たのです。

Words seed your view.(ことばが、見方のタネをまく)