エンパレットのカテゴリー Nurture 心を養う

縁の路へ

家族だから「無条件の絆」が与えられているのではない。絆は、心をわかちあうふるまいの中にある。「おはよう」のひと声でよい。ふれあい、たしかめられることで、私たちは、すでに共感の結びあう世界に生きていることに気づく。つながっているからこそ、すべての物事、家族も、じぶんも、みな、ひとつずつ、固有の存在であることにも気づける。

We live in connection.

共感のまなざしがじぶんをつくる

谷川健一先生の著作には、実証的な方法の上に想像力を働かせれば、目の前の世界とつながることができるという秘密が惜しげもなく語られている。じぶんという人間が、大地の母とも、いのちの宇宙とも、確実につながっている。共感のまなざしで、世界とふれあう、かかわりあうことができるのだ。わけへだてなく、じぶんで、まなぶ力の源泉。

With empathy, you can learn by yourself.

失うことはまなぶこと

なにひとつ、不用なものなどない。ふだん、Given「与えらたもの」として、考えることから、切り捨てているだけのことなのだ。あたりまえになっているから気がつかない。すべての痛みも、まなびである。痛みのおかげで、身心はひとつであること思い出せる。道具も環境もふくめて、ひとつのじぶん。そのじぶんにも共感することが大切である。

Pain helps me learn.

「空気に包まれて、忘れていた」じぶんにあとから気づく

木々の葉をゆらす風の香り。木漏れ日で縞模様になった大地。鳥のさえずりと虫の鳴き声。そんな空気に包まれていると、じぶんを忘れているときがあります。何も考えていない、ということに気づいているのではありません。何も考えないようにしている、のでもありません。あとで、忘れていたとしか思えないような時間だったことに気づくのです。

I feel like I’m up in the air.

エンパシームへの路(2)[存在のありがたさ]に気づく

20歳の時、父が病気で不随になり、声を発せられなくなりました。父が他界するまでの5年間、「ひらがな文字盤」を使い、手と息とまなざしで、ふれあうことを学びました。これがエンパシームの原点です。そのことに気づいたのは、10年前に姉が急逝したことです。その喪失感のおかげで、私ははじめて、存在のありがたさに気づきました。

共に痛む

兄が痛みで苦しんでいるという話を聞いた。I feel your pain. 私にも同じ受難体験がある。滑液包炎。人間の体の関節には潤滑油の袋がある。それが炎症を起こす。問題は、違和感がある時に無理に動かしてしまう事で本格的に炎症を引き起こすこと。Compassionということばを思い出す。同じように痛みを感じること。

I feel your pain.

共感の心は月かげ[エンパシームの中をのぞく]

空気も電気も重力も、みな共にふるまっています!そのような想像、小さな実感が持てると、科学の知識は、もっと活かせます。テクノロジーも、宇宙の不思議な力のおかげですよね。人間の心から生まれてくるもの。いえ、心はその一部ですね。科学の心も、哲学の心も、ねがいの心も、すべて人間が自然・宇宙とふれあうところにあります。

Inspire hope.

実は、オウンゴール?

ふだん私たちは「いのちがあるから、生きている。いのちは生命体。ひとつの個体が生きている。」と考えます。でも実は、そうではなく、生きていることを「いのち」と呼ぶ方がふさわしいのです。なぜなら、生きているという現象は、まわりの環境とのやりとりなしは、ありえないからです。いのちがひとつだけ、先にある、ということはないのです。

Inspire imagination.

共感の精錬 (14) 『丹生のみち、共感の精錬』(エッセイ)

「多くが感じられる」ためには、素のふるまいで共感が引き出される環境を、じぶんの身辺につくることである。その思いに駆られて『海の宮』のエッセイの数で十数冊分の日々を過ごしてきた。エンパシームを共通の資源として捧げる探究の成果と互恵協働のコミュニティが一歩ずつ進んでいる。谷川先生へのオマージュとして、この一編を捧げたい。

共感の精錬 (12) 付記 ① 水銀・人間の心・エンパグラフ

サイエンスの力、テクノロジーの力、アートの力、そして素のふるまいの力。これらは調和をもって合わせることができる。その思いをこの文章にこめた。「ひとつぶ」の共感を日常の中で身につける小さな素振りの力によって、何かがすこし違って見えたり、聞こえたり、感じられ たりする、未知の可能性を私は信じている。