Empathemian 『Everyday is a gift』

その声は、とても穏やかだった。
「このまま、ずうっと続いていくみたい。生と死の境目がある、という気がしなくなったの。このように生きて、このまま続いて、死ぬのだろうなって。」

「生きているように、死も続いているんだね。メメント・モリって地続きだったんだね。」私はそうこたえて、「生の中に死があり、死の中に生がある」ということばを思い出した。十年前、姉が突然のように他界した時から、他者の死が心の中に生きるという実感を抱くようになった。そしていま、母の存在ともじぶんは、地続きであるという気がする。

心拍停止の状態が十五分続いた救命室から、母が生還して三年半になる。あの時以来、「毎日が贈りもの」ということばは、家族の合言葉になった。

いま、エンパシームが遠く離れた母との「通い路」になっている。母の小さな[いま]をわかちあえる。

おはようございます。

日々、微妙にちがう、母の声つぶの連なりひと言で、つながりをたしかめることができる。
長い間、家族には「無条件の絆」が与えられているかのような、漠然とした思いがあった。それが今、小さな作法ひとつ共有し、声ことばのふるまいをわかちあうようになって、そうではないことがわかった。

絆は、わかちあうふるまいの中にある。ひとふり、ひと声でよい。それを続けるだけで、「かけがえのない」ということばの意味がじんわりと感じられる。

私たちは、共感が結びあう世界に生きている。それに気づく時がその世界である。つながっているからこそ、すべての物事、家族も、じぶんも、みな、ひとつずつ、固有の存在であり、現象になる。それは、たしかめることによってのみ、わかる。

おはようのひとことで、世界ができる。


出典:坂口立考『海の宮14号・車山高原から縁の路へ』、『共プラガイド』