エンパシームへの路(2)[存在のありがたさ]に気づく

20歳の時、父が病気で不随になり、声を発せられなくなりました。父が他界するまでの5年間、「ひらがな文字盤」を使い、手と息とまなざしで、ふれあうことを学びました。これがエンパシームの原点です。そのことに気づいたのは、10年前に姉が急逝したことです。その喪失感のおかげで、私ははじめて、存在のありがたさに気づきました。

ふれあいそのものが、ことばだった。

人間の言語の起源は、音声が先か、身ぶり手ぶりが先か?現代の私たちにとって、身体の自然、無意識的な動きと、声のことばによるコミュニケーションは切り離せません。身心のふるまいが表われて、声ことばになる。声ことばが湧き上がり、ふれあいになる。ふるまい全部がことば。ふれあい全部がことば。ことば以前に相手がいたのですから。

Interactions came before words.