一枚の葉っぱになる|Become a leaf.
無心になる姿勢を身につけるには?たとえば、一枚の葉っぱの相手に、じぶんがなることです。物事の「原因と結果」とか、「目的と手段」という部分ではなく、それらをぜんぶをひっくるめた、じぶんを包む世界に浸ること。いえ、そんな理屈は忘れて夢中になることです。じぶんもまた一枚の風景になってしまうと、必ず気づくことがあります。
エンパレットのカテゴリー Nurture 心を養う
無心になる姿勢を身につけるには?たとえば、一枚の葉っぱの相手に、じぶんがなることです。物事の「原因と結果」とか、「目的と手段」という部分ではなく、それらをぜんぶをひっくるめた、じぶんを包む世界に浸ること。いえ、そんな理屈は忘れて夢中になることです。じぶんもまた一枚の風景になってしまうと、必ず気づくことがあります。
千里の道も一歩からということわざがあります。でも、一歩を踏み出しても続くだろうか?こんなふうにも歩くこともできます。「一歩の中に千里あり。千里の中に一歩あり。千里を歩いて一歩になる。一歩の中に千里の喜び。切り拓く道。未知と出会う道。道を進むと千が一に、道を登ると一が千になる。道は長くつづく道。道はいつも心によりそう友。
One thousand clouds make one sky.(千の雲がひとつの空をつくる)
道元禅師の『正法眼蔵』に、「前後際断」ということばがあります。起きている時と寝ている時では、時間と存在のあり方がちがう。冬が春になるのではなく、春が夏になるのでもない。冬には冬のあり方、春には春のあり方がある。生もその時のあり方である。死もその時のあり方である。その時は、その時としてある。今という時を生きているのです。
Death is within life. (死は生の内側にある)
The heart is counting up, not down, until the final beat.(鼓動は、カウントダウンではない。いのちがたたまれるその時まで、数えあげている)
まなざしがことば。手の温もりがことば。指に入れる力がことば。うなづきの間がことば。耳を澄ます静けさがことば。声をしぼり出す息がことば。口を動かす気配がことば。ことばが届いたとわかる仕草がことば。半身が動かないことでも、声が出せないことでもない。いま向きあっているのは、持てる力を使い尽くし、今の生き方で生きている母の姿。
Life enfolds.(いのちは、内側へたたまれる)
人生の目的は幸福ではない。ラルフ・エマーソンは言います。「人の役に立ち、活かされること。人の敬愛に値し、すべての物事に、思いやり、慈しみ、共感の心をもてること。生きたという実感をもてることである。」幸福が人生の目的だと漠然と思い込んでいると、肝心な「行動」を忘れてしまい、「幸福の道」ができにくくなるのかもしれません。
Sense your way. (歩む実感を)
想像力とは、異質なものをイコールでつなぎあわせること。ひらめきは、五感を結いあわせるような営み。さかさまにすると気づきます。「古池や 蛙飛こむ 水の音」の誤解にも。長谷川櫂さんは、このように説きます。「芭蕉は、蛙が飛び込む音を聞いて古池を思い浮かべた。古池は「蛙飛こむ水の音」が芭蕉の心に呼び起こした心の世界である。」
Inspire all your senses.(五感を澄まして)
長い間旱魃が続き、土地も干上がっていたカリフォルニア。この年末年始、それが一転して暴風雨に見舞われました。各地で洪水の被害。ワインの産地ソノマでも葡萄畑は水浸しになりました。あるワイン生産者はこう語ります。「暴風雨による浸食は問題ですが、ブドウ畑に発生するフィロキセラ(害虫)の発生を抑えられます。だから恵の雨ですよ。」
Adversity strengthens the foundations
(雨降って地固まる)
「袖振りあうも他生のご縁」ということばがあります。偶然、袖が触れるぐらいの、わずかな出会いにこそ、つながりを発見できるのかもしれません。目を向け、耳を傾け、手で触れてみる。どんなことでもよいから。ひとつひとつの出来事は、たまたま。偶然の現象です。何であれ、よろこんで受け入れるという姿勢になると可能性は無数に広がります。
The chances are numerous. (奇遇はいくらでもある)
『母をたずねて三千里』は、アミーチスの小説『クオーレ』に収められた「五月のお話」です。少年マルコの旅の背景には近代国家になったばかりのイタリアの貧しさと移民の歴史がありました。それは明治の日本とも重なります。家族を助けるために母が海を渡る。残された子どもが手紙を待つ。便りが途絶える。そして少年が母をたずねて海を越える。
Voices cross the ocean.(声は海を渡る)
ムンクの『叫び』。実はこの人は叫んでいるのではない、世界の叫びを聞いているのだ、という解説がされます。でも、その説明もまた、まだ途中なのかもしれません。自然の叫びが、その人の身体に宿る。その人の身体を通って、私たちにも聞こえてくる。ムンクが描いたのは、叫びの主ではなく、叫びに貫かれ、叫びになってしまう人間です。
You become it.(じぶんがそれになる)