ひらめきの源泉 ② 漱石のサイエンス=アート=プラクティス

ひらめくには、感受性を磨くプラクティスがいります。いきなり、見えないものが見えるようにはなりません。微妙なふるまいに注意を向けること。無数の原因に思いを馳せること。配慮する心がいります。ひらめきに、科学的なものと文学的なものが別々にあるのではありません。見えないものに向かい、機微をとらえようとする働きがあるだけです。

Science and art are one in essence. (科学と芸術は本質においてひとつ)

ひらめきの源泉 ① 漱石のサイエンス=アート=プラクティス

夏目漱石の小説『三四郎』に「光の圧力を測定する実験」についての克明な描写場面があります。漱石はどのようにして「聞いたことも見たこともない実験」を現実味をもって描いたのか?タイムマシンでその場に訪れたつもりで、その種明かし。そして「見えないものを見ようとする」ためのインスピレーションの源はどのようにつくるのかを探ります。

Make unseen visible.(見えないものを見えるように)

流れ星とねがい②

流れ星をみようとすることとねがいを唱えることは、関係があります。流れ星がみられる一瞬の間、ほんの数秒の時間だからこそ、そのねがいを声にすることができるのです。ねがいとは、毎日、声にだしてみじかく、ひとことで唱えられることばです。いつも心にして、そのことばを声にだし、じぶんで聞くこと。たしかめるから、ねがいになるのです。

What is your wish?(あなたのねがいは?)

じぶんらしさは、思いがけない揺れの中でつくられる

Be yourself. There is no one life like yours. (同じ生き方は一つもない。)

夏目漱石のエッセイ「人生」から。❶ 物や事の移り変わり、その全体を人生と呼ぶ。❷ 同じ生き方は一つもない。❸ 人は自分を知っているつもりで、実は知らない。❹ 夢は夜だけでなく、昼にも突然あらわれる。❺ 自分の行動が本当に自分の意志かはわからない。❻ 人の行動は理屈では言い尽くせない。❼ 人生とは揺れの中を進んでいくこと。

五感がことばに結びついて、はじめて、わかる感じが生まれる。

See with your ears.Touch with your ears.(耳で見よ、耳で触れよ)

聞くとは、耳で見ること。音の色、音のカタチを見るのです。聞くとは、耳で触れること。音の肌触り、余白に触れるのです。私たちは、ただ見るとか、ただ聞くとか、しているのではありません。光が目から入ってきている、音が耳から入ってきているだけ、ではないのです。大脳皮質の連合野で、感覚どうしを結び、実感をつくり出しているのです。

わからないことがある、とわかるために『Peanuts』問答

That’s not it (問題はそれじゃない)

スヌーピーは心の中で考えます。ウッドストックとは、いい関係でいたのか。いい関係でいられるのか。どちらもありうる。考え出すとキリがありません。この話の真意は、禅問答「狗子仏性」に似ています。「答え」を聞いても「わかる」ことにはなりません。わからないことがある、とわかること。その時にものごとの感じ方は変わります。

[n + 1] のしくみ :1日1回、おかげさまの借りを返す

1000個つくる。1000回やる。1000日続ける。できっこない?いいえ。あるのは、1000ではなく、今日の1回。スヌーピーの作者チャールズ・シュルツは、毎日1本を50年続け、17,897本を描きました。秘訣は、毎日 (1) 同じ形式で (2) ひとつだけ (3)借りを返すつもりで (4)それをする人であること。

I owe one strip a day.(毎日、ひとつお返しする)

真実・勇気・セキラリティ

赤裸々とは、包み隠さないことです。でも、なかなか、赤裸々にはなれません。なれないから、じぶんに対して、飾り、構え、あれこれ理屈を考えます。じぶんに対しても、どこかで「はずかしい」。そこで、セキラリティ(勇気をもって真実をに語ろうする姿勢)と言ってみると気が楽になります。心の中で、ネガティブをポジティブに転じる造語です。

Be true.(真実のじぶんのとおりに)

心臓はポンプではない(見方が変わると謎が氷解する)

The heart is helical.(心臓はらせん)

血液を送り出す機能だけを言えばポンプに見える。私たちはそのように教わってきました。しかし、それは心臓の本質ではありません。単なる押し出しポンプではないのです。ねじれ、ほどけ、しぼり、ゆるみながら動く。筋肉全体が雑巾を絞るような、らせん運動で血液を流します。しかも、血管内で渦をつくりながら流れ、効率を高めているのです。