The Broken WIndow, Saratoga, California

You’re not alone.(じぶんだけではない)

道元禅師『正法眼蔵』のことばから。

心は、山であり、河であり、大地である。
心は、太陽であり、月であり、星である。

立考:存在しているものすべてが心。
大和和尚:そうです。心は身体の中にあるものではなく。
立:だからこの身も心だ、と。
大:はい。見えるもの、聞こえるもの、ふれあうもののすべてが心として共に在ります。
立:ものすごく大胆ですよね。
大:道元禅師独特の表現です。
立:分解して理解するな、という意味で捉えてよいですか。
大:わけへだてをしない、ということです。
立:元来、ことばは、わけへだてをするものですよね。
大:物事は区別することで捉えることができるのですから。
立:にもかかわらず、わけへだてをするな、と。
大:そうだからこそ、わけへだてをしないように、と言うのです。

立:あるがままに受け止めよ、と。どうしたらできますか?
大:ことばにとらわれないようにすることです。
立:それはどうやって?ことばは不可欠でありながら。
大:観念を操作しようとすると囚われます。
立:とはいえ、心ということばは抽象概念ですよね。
大:はい。だから、物事は抽象概念から始めないように。
立:なるほど。
大:具象的な、自然が目の前にあるのです。
立:それを、みる、きく、ふれることだ、というのですね。
大:そうです。
立:具象的な、山も河も星も抽象化されます。
大:それの働きも含めて心です。
立:そのようなプラクティスがいりますよね。
大:そうです。想像する姿勢をつくることです。

立:「考えて」できることではない、と。
大:姿勢です。フォームです。
立:フォームに組み込むわけですね。
大:身につけるとはフォームを身につけることです。
立:そうすることで、くりかえせる。
大:フォームはカタチです。プラクティスにはカタチがいります。
立:作法と言い換えるのがよいですか?
大:あまり形式ばらないで大丈夫です。
立:そういう想像をするということを、形にして定着させる。
大:はい。だから、シンプルでわかりやすいことが条件になります。
立:なるほど。心は、山であり、河であり、大地であると言い切るんですね。
大:分解して、あれこれ区別していくうちに、囚われてしまうからです。

立:放っておくと、どうしてもそうなってしまいそうです。
大:なので、はじめに助け舟を出してくれているんですね。
立:親切に!そういえば、山河の親切ということばもありました。
大:すべては一体化すること。そのものになりきることです。
立:そのものになれるはずはない、というところから考えてしまいますよね。
大:そのものになれるはずない、と考えること自体を消していけばよいのです。
立:なかなか大変そう?
大:本当はむずかしいことはひとつもありません。
立:ことばで区別することに慣れすぎているから。
大:そうです。だからバランスを取るだけです。
立:ニュートラルポジションにする、と。
大:はい。それだけで変わります。

出典・参照:道元『正法眼蔵』「即身是仏』の巻、「大和和尚との対話」

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