Empathemian, Stenvens Creek County Park

大和和尚との対話から。正法眼蔵の核心について。

立考:「自己を忘るるなり」ということばがありますね。
大和:はい。道元禅師のことば。『正法眼蔵』のはじめのほうに出てきます。
立:仏道のエッセンスは自己の究明だと言っていますね。
大:そのとおりです。
立:自己の究明だ、と言いつつも、それ以上のことを言っているように思えます。
大:はい、それもそのとおりです。
立:字句の解説はたくさんありますが、なかなか、イメージできないですよね。
大:そのような体験をすること、それを想像できるようになることが、エッセンスです。

立:「心身脱落」ということばもあります。
大:ひと言だけが「ひとり歩き」すると、かえってわかりにくくなります。
立:ここのところですね。番号をつけてみました。

『正法眼蔵』現成公案

Unlearn your “self”.(じぶんを忘れよ)

大:仏道とは何か?①は、ひと言で言い切っています。
立:それを受けて、②は、自己をならうとは何か?それは自己を忘れることだ、と。
大:自己を忘れるとはどういうことか?③と④で説明します。
立:自己を忘れる、とはじぶんを投げ入れるようにして、周囲にとろけるといった、かんじでしょうか。
大:はい。それが道元禅師の実感するセンスですね。
立:それをひと言にしたのが「身心しんじん脱落だつらく」ですね?身心脱落の身心は、じぶん。
大:じぶんを忘れるとは、じぶんだけのことではありません。じぶんが包まれている共感の宇宙によって明らかにされることです。

立:自己、他己ということばがでてきます。
大:すべての存在、物事が、みんなおなじように、自己という存在。じぶん以外のすべての自己が他己です。
立:自己も他己も、すべてを包みこんでいる。またそれが、自己・他己の中にも感じられる、この宇宙に照らして。
大:はい。宇宙というのは銀河系とか太陽系のことじゃなくて、すべてのものごと、万象森羅です。
立:じぶんを投げ入れて、宇宙に包まれている感覚。そういうかんじでしょうか?
大:身心脱落こそ。でも、実は、それだけではダメなのです。
立:あれ?身心脱落がすべてなのでは?

自己をならふというは自己をわするるなり②[脱落する身心を確かめること]につづく

作法そのものが学習である[すべてに共通するエッセンス]

ALL YOU NEED IS LOVE 誤解を超えて (3)修証一如

出典・参照:道元『正法眼蔵』現成公案、「大和和尚との対話」(仏法ニコニコ講話 坂口立考編集)

「正法眼蔵」