Empthemian:大和和尚とたなと

Relax.Let it go.(心を楽にして)

大和和尚さんは、このように説きます。

「古来、「ほとく」ということばがありました。
こんがらがったヒモを「ほどく」と同じです。
「ほとけ」とは、ほどかれた、安らかになった状態のことです。」

「仏教ということばは、仏の教えと書きます。
が、これは明治につくられた言い方で、それまでは「仏法」でした。
長い間、仏法とよばれていたものが派生して、
もっと広い範囲で解釈されたものの全体が仏教です。」

「日本は仏教国と言われますが、たくさんの宗派があります。
無数の経典があり、また私たちの日常生活、文化・慣習に溶け込んでいます。
仏教というと範囲が広く、とても複雑です。
実は仏法は、冠婚葬祭や加持祈祷(おまじない)とは、何の関係のないことなのです。」

「仏法とは、宇宙の真理です。
また、その中で生きる人間が学び、実践するための智慧です。
そして、人間のだれもが、苦を乗り越え、安らかに生きるように、
やさしく説いた教えが、お釈迦様の教えです。」

「仏教ということばでは、肝心なエッセンスが伝わりません。
なので、仏法ということばを使うと、原点に立ち返ることができます。
仏教ではなく、仏法です。」

「人間の問題とは何でしょうか。
それは「生老病死」です。
決して、じぶんの思うようにはなりません。
解決できないのです。
だから、解決ではなく、克服するしかありません。」

「のりこえることです。
どうしたら、それでも安らかになれるのか。」

「智慧があるのです。
この宇宙の、あらゆる存在に共感すること。
そのように、じぶんをみちびくことです。」

仏法は、安らかに生きるプラクティスのために。

このお話はすべてに通じています。
あたりまえにすら聞こえることを、日常の私たちはできずにいます。

それは、自意識が働くからです。
それがいけないのではありません。
だれでもそうなのですから。

まず、自意識を和らげる、小さなプラクティスからです。
何もしないで、できるようになるはずないですから。

考えてみると、なんのプラクティスもしないで、
ただやみくもに願う、というのは、なんか変ですよね。

その時々、気を休める、プラクティス。
もしかしたら、それがすべてなのかもしれません。
じぶんの周りの空気をやわらげること。
じぶんの無意識に働きかけることです。

ところで、和尚さんの「大和」は、「大きく和らぐ」と書くのですね。
大きい、とは、小さなプラクティスがそのままつながっていくもの。
そう思えば、力まずにできそうな気がします。

出典・参照:仏法ニコニコサロン主宰・大和和尚との会話、以下のエンパレットなど

「まず、和らぐことから始まる。」

「Let it go. [行きづまったら、そっと手放すために]」

「放てば手に満てり」

「共業(ぐうごう)[すべてのいのちは共に生きている]」

「仏法」