エンパレットのカテゴリー Nurture 心を養う

和らぎ(窓ガラスは割れても心は割れない)

You’re not alone.(じぶんだけではない)

あ!粉々に砕けたガラス! Sさんは言います。「あっと言う間の出来事です。手口は硬い棒でひと突き。ガラスは粉々に砕け散り、十数秒の間で物を取って立ち去るんですね。」こんな時、まず、いったん気を休めることが大事です。じぶんに落ち度はなくても、運の悪いことが起きることはあります。おなじ目にあった人の気持ちがよくわかります。

千が一になる(道は心の友)

千里の道も一歩からということわざがあります。でも、一歩を踏み出しても続くだろうか?こんなふうにも歩くこともできます。「一歩の中に千里あり。千里の中に一歩あり。千里を歩いて一歩になる。一歩の中に千里の喜び。切り拓く道。未知と出会う道。道を進むと千が一に、道を登ると一が千になる。道は長くつづく道。道はいつも心によりそう友。

One thousand clouds make one sky.(千の雲がひとつの空をつくる)

心は踊る(くりかえし、ふりかえり、じぶんと結びつける時に)

The Child is father of the Man.(子は人の父なり)

「三つ子の魂百まで」ということばがあります。小さい時に身につけた心は生涯続くもの。でも現実には、大人になると驚きや憧れを忘れてしまいがちです。何もせずに「三つ子の魂百まで」はありません。ウィリアム・ワズワースの詩の一節「こどもはおとなの父なり」のように、ことばに出してふりかえり、じぶんと結びつける行為があるからこそ。

インナースピーチ(7)思いをかなえるしくみ

思いがあるとことばは自然に出てきます。思いは放っておくと消えてしまいます。思いをインナースピーチ化することで心が行動に現れます。インナースピーチは、思いをつくり、心を育ててくれる、あなたのいちばん身近な友。エンパシームはシードを使ってインナースピーチを抽出し「思いをかなえる」共感的なしくみを創造するテクノロジーです。

Grow and share your seeds.(ことばのタネを育ててわかちあおう)

インナースピーチ(6)ことばのタネをまいてじぶんを育てる

自己〇〇。〇〇に入ることばはたくさんあります。管理、責任、改善、批判、強化、修養。じぶんという認識は内語に由来します。内語を使い、じぶんと対話することで自覚できます。内語を声に出していったん外に出し、その響きに触れることで内面化できます。修養のエッセンスは、内語を出し入れするふるまいによってことばを身につけることです。

Sow and grow your seeds.(ことばのタネをまいて育てる)

人生は2秒単位でできている③ (思考の単位)

人生の大半をしめる動作は2秒毎に完結します。それは発話の時間単位、思考の時間単位です。心の中で発話することがじぶんという意識をつくります。ヘレン・ケラーは言います。「ことばで考える、ということができる以前、私はじぶんが何かを知っているということも、生きているということも、行動しているということも知らなかったのです。」

The smallest and most practical time unit for life is two seconds.(人生で実用的な時間の最小単位は2秒)

祈りと自覚(心がけるとは?)

〇〇を心がけよ、と言われ、わかったつもりでも、はて?どうやって?何をするんだっけ?大切だなとその時には思っても、毎日は忙しく、後回しばかり。そんなふうになっていませんか? 心にとめたり、ひっかけたりする場所はありません。声をカタチにして、じぶんの姿をふりかえることが心にとどめること。そのふるまいが「心がける」ことです。

You are the system.(じぶんがしくみ)

心を写す「きもちよさそうな おふね」

うれしい朝、眠たい海、気持ちよさそうな舟。心をうつすことば、ことばに映る心。私たちは、気づかぬうちに、心をうつしています。やわらいだ気持ちでつむぎだすことばに、じぶんの無意識が写ります。心は、ことばにうつして、ふれるもの。いいえ、それだけではありません。ことばをわかちあって、みんなで心をうつしあうことができます。

Happy morning, still sleepy sea.(うれしい朝、ねむたい海)

エンパシー: 共感はじぶんの心の証

共感はじぶんの心の証。共感は共に生きること。相手とおなじふるまいをすること。共感は同感ではない。共感は同情ではない。共感は自分の気分や考えを投影して相手を「理解する」ことではない。共感は、じぶんの内なる体験にふれ、心の存在であることを実感することから。相手の心によりそおうとするふるまいが、じぶんの心の証。共感は心の鏡。

Empathy mirrors self. (共感がじぶんをうつす)

ゼロ人称のじぶん(発話以前のわたし)

相手に話す以前のじぶんは何人称?相手に話しかけるから「私」と呼びます。つまり、「私」は「あなた」とセットの概念です。一人称の「私」以前の、じぶんがあります。思っているじぶん、考えているじぶん。じぶんに語りかけるじぶん。それはゼロ人称のじぶん。そのじぶんを包み、なぞり、確かめるように、声をかけて生きているのです。

Explore Self.(じぶん探索)