エンパシームが参照している研究領域。
独自の研究開発。
ひと目でわかるように整理してみました。
主に4つの領域。
左側①②は、じぶん。
右側③④は、じぶんの周囲、社会・環境。
上側①③は、心とことばの世界。
下側②④は、身体を使った、環境との相互作用の世界。
中心部分が、エンパシームで提供するテクノロジーとメソッドです。
以下、エンパレット集として参照ください。
ことばは人とのコミュニケーションだけではなく、思考の要です。声に出さなくても心の中で会話を思い出し、ことばを覚え、書いたり、考えながら話す時に、内なることば「インナースピーチ」(内語)を使っています。無意識的に発せられることばを含め、心の中で短いセリフを発しています。生涯を通して、1億回もの膨大な数の、心の出来事です。
私たちは心の中のことばによって考えることができます。例えば、ありがたい、親切、勇気といった概念は、ことばにしない限り意識できません。あなたのペットには意識がありますが、内省し、思考し、じぶんの意識をふりかえる高次の意識ではありません。人間はじぶんという意識を形づくる媒体、インナースピーチ(内語)を使い、思考できるのです。
インナースピーチは読む・書く・話す・聞くという言語機能の要です。文字を読んで覚える時でも、脳のワーキングメモリが2秒ほどで音の連なりに変えて処理します。ことばの習得は声のセリフの内語化です。英語の習得はその典型的な体験です。なぜなら、心の中に英語のセリフはまだなく、白紙状態から内語を身につけていくプロセスだからです。
声のない発話、インナースピーチ。脳内では何が起きているのでしょうか? 内語のほとんどは、声に出して話す時と同じ脳領域に発生します。脳は声に出さなくても身体感覚を引き起こします。内なることばはもともと身体の外にあったもの。声に出し、また、外部の言語世界からことばを取り入れ、つながりをつくることでことばは内語化します。
近年、言語の使用が人間の思考や記憶を形づくるという多くの実証研究がある。が、言語は行動科学や脳科学の認知研究の中心になく、その一方、言語の研究も言語の性質や構造に関するものが中心で、実際の言語使用や意識の研究とは一線を画す。その間を埋めるのは?それが内語だ。人間の無意識的な心理過程に根ざす内語を抽出して活用すること。
自己〇〇。〇〇に入ることばはたくさんあります。管理、責任、改善、批判、強化、修養。じぶんという認識は内語に由来します。内語を使い、じぶんと対話することで自覚できます。内語を声に出していったん外に出し、その響きに触れることで内面化できます。修養のエッセンスは、内語を出し入れするふるまいによってことばを身につけることです。
思いがあると、ことばは自然にできます。思いは放っておくと消えてしまいます。思いをインナースピーチ化がすることで、心が行動に現れます。インナースピーチは、思いをつくり、心を育ててくれる、あなたのいちばん身近な友。エンパシームでことばのタネ(シード)を使ってあなたのインナースピーチを抽出し、思いをかなえる路を歩みましょう。
動画をごらん下さい。日本語なら音声を聞いてすぐにイメージできます。即座に真似もできます。音とリズムを身体で身につけているからです。が、英語ではそうはいきません。もう何1000回も聞いているはずのセリフでもハッキリとは思い出せないのは?じぶんの声で音とイメージを内面化するインナースピーチ。身体で記憶すると聞こえてきます。
ことばは、脳内に湧き上がるモヤモヤしたかたまりを音の列に生成して出力するしくみです。「声の身体運動」そして「運動化の記憶」なのです。聞くことと話すことは一体です。くりかえすプロセスで無意識化・自動化し、脳内に運動パターン蓄積します。インナースピーチ化によって運動プログラムが構築する過程が、ことばを習得する営みです。
私たちの脳には、音を生成するしくみが備わっています。ことばは「音声の運動」で記憶されます。くりかえすことで運動の記憶を定着させ、自在に出力できるようになります。そのことばは、相手とのやりとりの中に生まれます。ひとつのセリフは必ず前後のつながりをもっています。つながりを持っているからこそ、インナースピーチ化できるのです。
学びの土台は覚えることです。ワーキングメモリはその中核です。日本語の作業記憶という響き以上の、重大な役割を担っています。次々に入ってくる情報を、一瞬で処理しながら、長期記憶とやりとりし、同時並行して起こる情報を統合するプロセスです。何をするにも、ワーキングメモリを通るのですから、まさに心の玄関。心の働く現場です。
ことばを身につける ②「処理することを学ぶ、処理したものだけが身につく」
言語の習得とは「処理を身につける」ことです。処理したものだけが、身につけられます。処理していないことを学ぶことはできません。プラクティスしないことは身につきません。プラクティスとは、身体全体が処理するプロセスです。そのプロセスを担う働きがワーキングメモリ。ワーキングメモリを鍛える方法は、2秒のセリフのアウトプットです。
ことばを身につける ③「運動のトレーニングとおなじように、適度の強度が必須」
トレーニングにはインテンシティ(強度)が必要です。適度な負荷をかけることで鍛えられます。脳でも肉体でも基本はおなじ。英語の学習は、その典型例。適度な強度とは(1)ネイティブの速さ・リズムに近づける(2)2秒のセリフを、いったん覚えて、ひと息でアウトプット(演じる)(3)くりかえし、ふりかえり 、じぶんで確かめること。
ことばの単位というと文字や単語を思い浮かべるでしょう。が、それらは、ことばを聞いたり、発したりする時の、あなたの「ふるまいの単位」ではありません。また、録音された音声を「後から測る」ことはできるけれども、ことばのふるまいの目安・基準となり、ふるまい自体をじぶんで見て、ふりかえれるように測るものさしはありませんでした。
動画のセリフを聞いてください。順にくりかえし聞くだけで、変化が感じられ、気づいたことがあるでしょう。このセリフは、間も入れて3.5秒に19音節(46音素)。13音素/秒です。人間が1秒間に聞き分けられる音の数は、10個。なんと、日常の会話は「人間が意識して捉えられる範囲を超えて」聞き取っているのです。一体どうやって?
相手に話す以前のじぶんは何人称?相手に話しかけるから「私」と呼びます。つまり、「私」は「あなた」とセットの概念です。一人称の「私」以前の、じぶんがあります。思っているじぶん、考えているじぶん。じぶんに語りかけるじぶん。それはゼロ人称のじぶん。そのじぶんを包み、なぞり、確かめるように、声をかけて生きているのです。
内なることば(Self-Talk)を変えて、思考をネガティブからポジティブに。よく言われますが、それ以前に、またそれ以上に大切なことがあります。いきなり変えようとするのではなく、ネガティブなことばをつくっている状態に気づくことです。それは、ニュートラルでやさしいことばをかけること。じぶんに声をかけるだけで変わります。
ざっくり言うと、一瞬の長さは、0.1秒(100ミリ秒)です。人間が聞き分けられる音のまとまりが100ミリ秒。脳の神経細胞の発火パターンの保持して意識するのに必要な時間が100ミリ秒。英語の日常会話で最もよく使われる単語の音素ひとつが100ミリ秒。その一瞬が連続して入っている、ひとまとまりの完結した行為は発話セリフです。
人生を線路と線路の枕木になぞらえてみます。左のレールは、心の働き。メンタルプロセスがつながっている様子。右のレールは、身体の動き。フィジカルプロセスがつながっている様子。無意識と意識の間を結ぶ代表が、発話です。両者をつなぐのはひとつひとつのセリフ。 ことばは、ひと息ぶんの発話で完結した行為になります。それは2秒の時間。
人生の大半をしめる動作は2秒毎に完結します。それは発話の時間単位、思考の時間単位です。心の中で発話することがじぶんという意識をつくります。ヘレン・ケラーは言います。「ことばで考える、ということができる以前、私はじぶんが何かを知っているということも、生きているということも、行動しているということも知らなかったのです。」
文字で見ると安心しませんか?文字で読めればわかる。意味さえわかれば簡単。すると、無意識的に音の処理を過小評価してしまいます。「文字を見ないとわからない」ということに、気づかないことが、英語学習の壁になります。じぶんの脳は英語の音でどれだけ処理できるか?気づかぬうちに文字に頼っているのでよくわからないのです。
リスキリング (Reskilling)は、これまでに身につけたスキルとは違う、新しいスキルを身につけることです。英語の学習もリスキリングと捉えると見え方が変わります。これまで、文字に依存した英語の知識スキルを身につけました。これからは文字に依存せずに、音でことばを処理できるスキルへ。英語を使える運用力へのリスキリング。
山路を登る時、脳が活性化します。坂の勾配が適度な負荷をかけ、全身運動になります。血流が増えて脳が刺激されます。脳は全身の細胞が共に働くための調整役。脳を鍛える最善の方法のひとつが山路を登ることです。山路は、地球の重力をほどよく使い、思考を形づくるしくみ。歩くことで、いつもくりかえし考えていることがふるいにかけられます。
天然のミネラル水がおいしいのは、自然が不純物をろ過してくれるからです。 それでは、ごちゃごちゃの頭をスッキリさせる方法はありますか?実は、ひとり静かにすわる「作法」が、雑念を取り除き、心をクリアにするフィルターになります。シンプルな作法の中に、① 静穏 ② 姿勢 ③ 呼吸 ④ 時間 の要素が入っているからです。
ふだん声にだして話すことばを「セリフにする」ことで、脳は活性化します。ただ話すんじゃなくて、相手とふれあおうとする、ことば。「音のつながり」を、いったん心にとめて出す。じぶんの声と、相手のセリフを受け入れる。身体でセリフを「出し入れ」することは、相手とふれあい、つながりをつくることです。その時、脳が生き生きとします。
プラテクィスとは?① じぶんでする、② 身体でする、③ 定期的にする、 ④ くりかえしする、⑤ ふりかえる、⑥ 自分が変化する、⑦ 習慣になる Practice は 、実践+練習+習慣の自覚です。プラクティスとは何かを成し遂げることではなく、よい状態に導く、方向づけ。実際にやってうまくなるのを助けてくれるしくみです。
プラクティスの意味 ② (むずかしかったことがやさしくなる、変化のプロセス)
プラクティスとは、むずかしかったことがやさしくなること。じぶんが変化すること。コンスタントにできるようになること。じぶんが変化するプロセスがプラクティス。どんなことも、はじめは、むずかしいもの。でも、続けているうちに、じぶんとのつながりができ、だんだんうまくなります。じぶんとのつながりをつくるプロセスがプラクティス。
フィードバックもフィードフォワードも、ものごとの手順、流れのあるシステムの機能から生まれたことばです。どちらも大切な役割があります。じぶんを具体的にふりかえり、気づきをうるために。フィードフォワードは、ただの前向きの気持ちではなくて、未知(わからないこと)へじぶんを向けるために、ことばに出して発想をつなぐことです。
フィードバックをフィードフォワードと組みあわせることで、スキルの向上だけでなく、センス(心)を磨き、姿勢(フォーム)を身につけることができます。大切なことは、絶対的に正しい答えではなく、可能性です。未知のじぶんにむけて、声でことばに出すことです。直観カタチを与え、道筋をつけるふるまいをプラクティスにすることです。
Festina Lente ① [ゆっくり、はやくする] とは?
Festina lente フェスティナ・レンテ「ゆっくり急げ」というラテン語のことばがあります。急ぐは、スピードをあげること、ゆっくりは、スピードを落とすこと。「速いと遅い」は反対ですから、矛盾にきこえますが、実は、両者を組み合わせることに意味があります。ほどよい速さで着実に、途切れなく、毎日続けることです。
Festina Lente ② [ゆっくりすると無意識の力が引き出される]
ゆっくりするとは、無意識の力を活かすことです。まず、ゆっくりするのは、意識の力。速くするのは、無意識の力。はじめは、意識して、ゆっくりすることを心がける。くりかえし、毎日続けていくことで、ゆっくりにする、というフォーム(姿勢)そのものを、身につけるのです。無意識的に、いつでもその姿勢をつくれるようになることなのです。
Festina Lente ③ [ゆっくりにすることで、動きが速くなる]へつづく
フェスティナ・レンテは、ゆっくりすることで、動きを速めること。ゆっくりにするとは、行為の全体を遅くすることではなく、ゆっくりする部分を全体の中に組み込むことです。全体の中の、大切な部分部分で間(ま)を入れることなのです。そのためには、小さな「ゆっくり」のマイクロアクションを具体的にプラクティスすることです。
Festina Lente ④ [ゆっくりすることで、深くなる学び](上達の秘訣)
ゆっくりする、すなわち、間をつくることが、共感的な想像力を鍛えます。相手とむきあい、ふれあう姿勢(センス)を磨くのです。最も典型的な例は英語の習得です。英語を使う人になりきって、声でセリフをアウトプットすることが上達の必須条件です。その姿勢づくりは、わずかな「じかん」をかける(相手にあげる)プラクティスに集約されます。
「じぶん」は対話でできている。(インナースピーチで対話する存在がじぶん)
ふだん、ことばが先にあり、それでやりとりすると思っていますね。実は、他者との、ことば以前の対話からことばは生まれます。その逆ではありません。対話性によってことばを獲得します。私たちは相手とやりとりすることばと共に生きていて、それが内なる対話もつくります。脳内に声で発するインナースピーチで対話する存在。それがじぶんです。
くりかえしは、ものごとを身につけるための必要条件です。と言うと、そのためには「がんばらないといけない」という発想になりがちです。はるかに大事なことは、くりかえされやすい状態をつくり、じぶんが導かれるようにすることです。プラクティスの真髄はクリカエシビリティ(くりかえされやすさ)。障害をへらし、 反復・持続を保つこと。
ことばが、よりそう?聴き慣れない表現ですよね。これは、言語の本質を科学的に捉え直し、私たちが使うことばの最大の特徴を追究する話です。英単語をたくさん知っているだけでは、英語を自在に使えるようにはなりません。なぜでしょうか?このシンプルな「なぜ?」にこそ、ことばの本質があります。「ことばはつながる。つながるからことば。」
言語の本質は「つながり」にあります。言語の習得は単に単語を覚えることではありません。知っていることばを使えるようにすることです。英語のコーパス(単語の出現頻度など、構造的に捉えた大規模データベース)に捉え直し、ことばを使えるとはどういうことなのか、日常会話における言語の基本「セリフ」を具体的に掘り下げてお話します。
ことばの原点は身体を使ってセリフの出し入れすることです。声に出す行為が、音とイメージをつなげます。その妨げになるものは、気づかずにしている「思い込みやクセ」です。例えば、日本で広く浸透している「英語を日本語の単語に置き換えて、文字で覚える勉強」もそのひとつです。そのことに気づけると「ことばのつながり」ができてきます。
エマーソンのことば「思いのタネをまく」。思いのタネをまけば、それが行動になり、習慣になり、心の路になっていきます。でも何もしないと「いいことばだなぁ」のままになってしまいます。どうしたら本当に「思いのタネ」をまけるのでしょうか?それは、一体、何をすることなのでしょうか?。静穏の中に思いのことばを声に出すことです。
「タネをまけば、芽がでるよね。花も実も、きっと咲くね。」と、素直に感じられる心。素直にうけとめて、やってみればよいのですね。ところが、「素直になる」ということが、じつは、いちばんむずかしいことなのかもしれません。なぜかというと、つい、やる前から「そんなことしても、ムリ、ムダ」ということのほうに気をとられてしまうからです。
若い時に、思いのタネをまけばよかった。過去は変わらない。いいえ、じつは、だれにでも、すでに「まいていたタネ」があります。それに気づいていなかった(いまでも、気づいていない)、それが眠ったまま(あることを知らない)だけ。さかのぼって思いのタネをまくことが、できるのです!じぶんというタイムマシーンを生きているのですから。
ひとつぶのエンパシームをおこせば、その中に、タネをまくことになります。ひと言をじぶんにむけて、声のセリフ(シード)をまくのです。大切なことは、そのタネの手入れをすることです。じぶんをみちびく姿勢をつくることです。じかんをかけることが、手入れになります。それは、エンパシームの中におさまる、小さな間(ま)になって現れます。
日記をつける効用については科学的な研究も多くあります。不安やストレスを軽減する効果。免疫力を高める効果。ことばにして出すことは「整流化」です。整流化とは、流れをよくすること。ためこまないような流れをつくり、適度にスッキリさせること。ことばに出すことが、心を整えることです。何を書くか以前に、書くという行為そのものです。
書く、描く、掻く、欠く、画く。いろいろな漢字がありますが、「かく」という音の響きで表される行為には共通点があります。それは指先や道具の先で対象の表面を削ることです。何かを写し、残すことです。「かく」の原義はひとつです。それは、写し込む行為、刻み入れる行為、つくりだす行為。じぶん自身の声が心にうつされる、整流化現象です。
手で紙に書く行為は、最も身近な勇気のプラクティスです。何を書くのかわからないうちに書き出し、書き間違えます。クワやシャベルで土を耕す行為にも似ています。一回一回が本番です。書くと同時に直すことをはできません。いったん書いた後に気づくのです。まちがえるかもしれないという「未知」とふれあう予感が心の整流化が起こすのです。
じぶんに語りかける、声のすることばが心に写り、刻まれます。書く時間がない?実は、時間がないのではありません。ある時間を使うための、かたち(ルーティン)がないのです。声を書く、声で書く、声に書く。時間ではなく、姿勢です。日記は、じぶんへの問いを書く場です。問いを立てることでじぶんが書くべきことに出会えるからです。
何を書いたらよいか?何を書くべきか?これらの質問には、暗黙の前提があります。「はい、これです」という回答があるはず、という前提。「自分のことはよく知っている」という前提。それらは誤解です。 そうではなく、書くべきことに出会うために書くのです。 声のあることばで、じぶんにたずねること、じぶんの心をたずねることです。
Seed by Seed ① [プラクティスが生み出すタネ]d
英語、修養トレイル、ともに、エンパシームの中にシード をつくります。シードはあなたのプラクティスでできる、声ことばのタネ。エンパシームの中にタネがまかれます。ひと息ごとの声を記録します。でも、単なる録音ではありません。静かにすわり、流れに委ねて身体から出すときのじかんが入っています。後で気づきをうる、プラクティスの証。
Seed by Seed ② [声ことば、ひとつひとつが育つ]
Seedは「タネをまく」という動詞です。タネをまくとは、将来の成長のために準備をすること。ところで、スポーツのトーナメントの大会でシードとは、あらかじめ順番を与えられる選手のことです。対戦表に書き入れる行為があたかもタネを植えるかのように見えることから、シードと呼ばれるようになりました。つまり、シードは期待の表れです。
イエスキリストが群衆に語った「種まきのたとえ話」は、ことばをタネに見立てます。ふさわしい場にまかないとタネは育ちません。声に出すことばは、タネまきとおなじです。1日をふりかえり、静穏の中に、タネをまく。声にだすと、じぶんの耳に届きます。タネの周りを手入れすることで、タネは芽が出て茎を伸ばし花を咲かせ、実を結びます。
粒はひとつひとつ別々だけれども、全体(仲間のタネといっしょ)でタネ。素粒子物理学も、仏教哲学も「粒の存在はひとつひとつでありながら、全体でひとつ」ということを唱えます。ものごとを、わけへだてて、因果関係だけで考えてしまうのが、私たちのものの見方。それを毎日の生活の中で気づかせてくれるのが、ことばのタネ、シードです。
没頭する力 ① Dive in and give your all!
プラクティス、最大の秘訣は、没頭。考えずに身体が動くような状態になること。没頭できる状態をつくるには、その空気の中にじぶんを投げ入れることです。じぶんの力を発揮する、のではなく、環境の力を借りるのです。毎日30分、没頭して、「無意識の力」を出し切ることで、はじめ思ってもみなかったようなところに到達できます。本当です!
没頭する力 ② Let it go with the flow.
没頭すると?心が集中します。集中は意識の力ではなく、無意識の力です。その力を引き出すには静穏の場がいります。没頭するためには、もうひとつ、大切なことがあります。それは、流れです。流れにゆだねることで、没頭できます。没頭している時、時間を忘れています。その時、じぶんを忘れています。じぶんを忘れる時、心が集中します。
没頭する力 ③ Follow your trail daily
没頭には大事な条件があります。それは日々続けることです。没頭はくりかえす営みに生まれます。くりかえすと考えずに身体が動くようになります。没頭は無意識化です。できない時は?こんなふうに思ってください。路が呼んでいるから行こうかな。今日はひと休みするけれど明日はいけるよ。プラクティスは、あなたを待つトレイル。共に続く路。
没頭する力 ④ Love what you practice!
没頭は好きになること。好きなことだから没頭できる、という以前に、没頭するからだんだん好きになるのです。好きになるともっと没頭できます。音でことばを身につける、インナースピーチ化も同じです。音に没頭するから、ことばを脳に再現できるようになります。エンパシームで、没頭したじぶんを写し出し、より楽しく。もっと好きになれます。
動機ではなく、抱負こそ。(Aspiration matters most.)
動機(モチベーション)は、必ず減衰します。燃える火も炭をくべないと続きません。そして新鮮な空気がいります。炭自身のじぶんが燃え続ける手入れと、ねがう心をアスピレーション (aspiration)と言います。ねがいを、呼吸のように、身につけることです。「抱負」ということばがあります。ねがいを、胸に抱き、背に負うことです。
50年近く前の光景が、じぶんの内側から湧きあがってくる。はっきりとした声のセリフが聞こえる。人間は息をして生きている。その息のふるえが声になり、ことばになり、声ことばの空気をつくる。その空気は、時間も空間も超えて縦横無尽につながっている。一生に一回の出来事もすべて、声のことばで刻印がされ、自発的に「思い出てくる」のだ。
ルソーは「最も多く生きた人とは、生を最も多く感じた人である」と言います。多くを感じるとは、生きているという実感の数が多いことです。私たちは宇宙の一部。じぶんを包む自然とふれあい、つながりが感じられる、その瞬間の中に実感は生まれます。それを思い出して、ひと息の肉声でことばにすれば、脳内にインナースピーチの種が育ちます。
鳥が歌うのは、答えがあるからではありません。歌があるからです。マヤ・アンジェロウのことば。何か理由があるからでも、何かの目的の手段でもない。心に歌があれば自然に歌声になって現れる。歌えば全身に響いて心がひらきます。ひらけば無意識に構えているじぶんの心が和らぎ、穏やかな気持ちになれます。歌えばインナースピーチになります。
記憶とは、思い出して、ことばを育てること。ひと言、身体を使って声のアウトプットしてふりかえるという小さな行為です。声に出しておわりではありません。それはあなたのインナースピーチになります。インナースピーチとは脳内ですぐ再現できることば。あなたの身体に染み込み、いつも共にあることば。思い出してじぶんをつくっているのです。
パーソナルコンピュータの父、アラン・ケイさんのことば。未来のことはだれにもわかりません。だからこそ、未だだれも知らないものをつくれば、それが未来につながります。発明とはすでにある問題を解決するアイディアではありません。もしこんなことができたら、それで解決できることがある、というふうに想像して実際につくってみることです。
考えるとは、具体的に何をすることでしょうか?書いたり、声に出して話したことを取り入れて、別の形で出す。その連続プロセスです。まず、写すこと。写すことで、むきあって考える対象ができ、比べることができます。比べることなしに考えることはできません。エンパシームメソッドはその循環をムリなく、ひとりでできるようにガイドします。
声を聞くとその人のイメージが浮かびます。その人を知るとその人の声が思い出されます。記憶に刻まれると声とイメージが一体化します。別々のものをつなげるのではなく、もともとつながっています。音声とイメージが融合するところに言語が生まれ、人間は言語と共に進化してきました。肉声の中にイメージが宿り、その中に声のことばが宿ります。
地球上で最も豊富な量のある天資資源は、酸素。2番目はシリコン(ケイ素)です。コンピュータに代表される現代のテクノロジー文明の土台、半導体の原料。人間の心についても、天然資源のアナロジーで考えてみます。人間の心の働きをつくる最も豊かで大切な資源は何か?それは内なる発話を紡ぐこと。大切なことばを声で出し入れすることです。
ひと息の、声のリズム。それが、力を備えたことばです。意味を覚えようとしないで、声のリズムを刻むことで、ふだんは忘れていることが、思い出される。シンプルな動作と声のリズムが一体になっているから、あとになってから、記憶を復元するすごい力になるのですね。じぶんにも、声をかけてみよう。
学習とは、中に取り込むことで、出すことは別のことだと思っていませんか。実はそうではないのです。声に出してことばを出力し、じぶんで聞くこと。それを書いて刻むこと。それを繰り返すことが「入力」になるのです。出力を写すことこそが、まなびです。「エンパシーム」は、じぶんの声ことばを、音声のまま写し、書きことばにも写します。
寺田寅彦のエッセイ「蓄音機」から100年。1年のうち100日以上をネット上で暮らす現代生活にあって、録音や録画は心の一部です。スマホで録画をすればいっしょに録音もされますが、録音と録画は別々の機能です。なぜなら、人間の「目と耳」の働きに違いがあるからです。色は混ざってしまいますが、音は色のように混ざるのではありません。
100年前の蓄音器は、現代の学習のあり方を考えさせてくれます。知識は何でも調べられ、オンライン講義、豊富な動画があります。でも、足らないものがあります。ふりかえる体験、わかちあう体験。ことばはじぶんの身体を通してはじめて内面化します。声のあることばが血肉するのです。ことばが身につくとは、そのようにしてじぶんが変化すること。
花は咲くだけではなく、実を結び、いのちをつなぎます。そのあいだの時間と空間を取り持つタネのおかげで、くりかえし、つながりをつくれます。人間も地球に登場して以来、くりかえされてきました。 ヒューマンは土という意味から来たことば。ことばは声のタネです。タネを行き交わせることで、じぶん自身とも、人の心とも、つながります。
思考とは、内語でふるまうこと。内語とは、内なる発話です。心の働きは脳だけではなく、身体と環境からなるシステムです。想像は「フリ」をすることです。紙の上の数字を視覚的に想像することは、紙の上に書かれた数字を「見るフリ」をすること。ふるまいを演じることが想像であり、心の働きを起こしているのです。内語でふるまっているのです。
いつも使っているのに、気がついていないことば、内語(うちご)。声にださず、心の中でじぶんと対話することばです。私たちは、小さい時から身体の外に出すことばとともに、脳の中だけで出力されることばも身につけています。今度はそれを声のことばにして出力し直してみましょう。エンパシームは、声ことばの出力を助け、それを写し出します。
私たちは小さい時から、相手とむきあい、声のあることばで関わりながら、同時に「内なる」ことばの世界をつくりあげています。それによって、思索、じぶんを勇気づける一方、自分でじぶんを傷つけたりします。物事がうまくいかない時は内語が行きづまる時。肉声でことばを外に出しましょう。そのたびに、浄化されたインナースピーチができます。
耳順(耳したがう)とは?①(人のことばをじぶんの声にかえる)
孔子は60歳の還暦を「耳順」(耳したがう)と言いました。なるほど、素直に人の話を聞き入れられるというのは大変なことなんだな、と。でも、ちょっと変な気もします。聖人が60年の歳月をかけ、ようやく、耳がしたがうようになったというのです。それほどの時間がかかるもの?だれもがふだんから「聞き入れている」のではないでしょうか?
孔子は耳順(みみしたがう)を人間円熟の形式だと考えた、と小林秀雄さんは言います。知識を増やすのに時間がかかると言ったのではなく、世の中は、時をかけて、みんなと一緒に暮らしてみなければ納得できない事柄に満ちている、だから本質的なのだ、と。円熟は耳順の別の表現。耳順は他者と共に生きる意味をかみしめる、心の円熟を表すことば。
意識されないじぶん、意識しようにもできないじぶん。それは、ゼロ人称のじぶん。人生の大半をゼロの地帯で、じぶん自身とコミュニケーションをとっています。思い出す時も、考える時も、歩いている時も、食べている時も、夢を見ている時も。くりかえし、ふりかえり、心に声をかけて生きています。そのじぶんのことばがインナースピーチです。
音に没頭して無意識の力を引き出してデータ化し、気づいていなかった、あなたの壁を壊します。インナースピーチ(脳内で再現できることば)を育てる、英語トレイルです。特徴は(1)脳の処理能力・再現力を上げる(2)習得を阻むクセ・思い込みに気づく(3)プラクティスをシェアして継続力を向上(4)日常英語の「縮図」で効果を最大化。
エンパシーム:気づいていない「自習の壁」を破るプラクティスのテクノロジー、メソッド、プラットフォームを提供します。
じぶんの無意識を資源として活かすメソッド「エンパシーム」は、無意識のプロセスを再現性よく生成し、その流れをデータとして捉え、単位化し、視覚化します。日々、音に没頭できるプラクティスで無意識の力を引き出し、インナースピーチ(脳内に再現できることば)を最大化。気づいていなかった、あなたの「英語の壁」を破る原動力を培います。