Empathemian『Seed your way』

Seed yourself.(じぶんにことばのタネをまけ)

「種まき」というたとえ話があります。(*注1)

イエスが、群衆に語りかけます。

種をまく者が種まきに出ていった。
まいている時に、ある種は道端に落ち、鳥が来てそれを食べた。

ほかの種は、土の多くない石だらけのところに落ち、そこは土が深くないので、すぐ芽を出した。
しかし、日がのぼると焼かれてしまい、根がないので枯れてしまった。

ほかの種はいばらの中に落ちた。そして茨が伸びてふさいだので、実を結ばなかった。
ほかの種は、よい土地に落ち、実を結んだ。伸び、育ち、三十倍、六十倍、百倍をもたらした。
聞く耳のある者は聞きなさい。

タネのアナロジー。

・道端:ことばを聞かない人。
・石だらけの所:ことばを聞くが、自身に根がないので一時的。
いばら:思いわずらいや誘惑がことばを覆い、その人は実を結ばない。
・よい土地:ことばを聞いて悟る人。実を結ぶ。

見ているようで、じつは見ていない。
聞いているようで、じつは聞いていない。
聞いても、気づいていない。

ことばを聞くこと。
それは、もっともシンプルな身体活動。
だからこそ、プラクティスがいります。

私たちは、声のことばを「出し入れ」して生きています。
声のことばは、タネをまくこととおなじです。

ふさわしい場にまくことです。
1日をふりかえり、静穏の中に、タネをまく。
そのタネの周りを手入れする。
よいタネは、よい手入れでぐんぐん育ちます。
ケタ違いに多くのつながりをもって。

シードは見えるカタチです。
ことばは、心の中に在庫のように格納されているのではありません。
息にのせて出力する時に、そのまとまりが、ことばになるのです。

声がカタチをつくります。
カタチをつくるから、じぶんで気づけます。
カタチがあるから、そこに記憶や想像をつなげていけます。

Seed yourself in Empatheme.(エンパシームにシードをまこう)

Seed by Seed ④ [タネはみんなでひとつ]へつづく

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心の整流化④ [声を書く、声に書く]

出典・参照:『新約聖書』「マルコによる福音書」 4章 3-8

(*注1)新約聖書には、43のたとえ話があります。すべてイエス・キリスト(正確に言うと、キリストとして崇められる以前)のことばです。

マルコによる福音書