Empathemian『Inner Speech』

Inner speech gates self-awareness.(インナースピーチは意識のとびら)

ことばは、コミュニケーションの媒体だけではなく、多くの認知機能を果たしています。
ことばが思考を可能にし、考えるという行為を助けています。

じぶんは、何を考えているか?
それはどういう意味か?
ことばにして、気づきます。

思考とは、じぶんがことばにしたことを、ふりかえることによって気づくもの。(*注1)

言語を使わずに、概念をふりかえることはできません。
たとえば:

・ありがたいことだな
・親切にされたい
・勇気を出したい

ありがたいも、親切も、勇気も、抽象化された概念です。
心やものごとの状態をことばにして表したもの。
つまり、ことばでできているものは、ことばを使って考える以外に手はありません。

特に、じぶん自身については、ことばが不可欠です。
なぜなら、じぶんの容姿・姿勢・身体状態など、目に見えるものはよいけれども、じぶんの心の働きは見えません。
言語化して、相手にしない限り、意識することができません。

言語によってこそ、抽象概念として対象を意識できるのです。
私たちはつねに、そうした言語化を心の中で行っています。
心の中で無意識的にわき起こることがことばになることで、それを意識して捉え直しています。
くりかえし、ふりかえり、つながりの多いことば・セリフが心の中に現れることで、それらを使って深く考えることができるのです。

Empathemian『Self-Awareness』

Inner speech exteriorizes consciousness.(内語は意識を外在化する)

あなたのペットにも、意識はあります。
でも、自意識がある、というわけではありません。

確かに、一部の動物は一次的な意識を持っています。
が、それは人間の持つ高次の意識とは異なります。(*注2)

周囲のことには気づくけれども、じぶん自身をふりかえったりはしません。

生き物は、仲間とのコミュニケーションに、それぞれの言語を使っています。
でも、ことばを使って内省したり、じぶん自身について考えたり、さらに、じぶん自身の意識について考えることはないでしょう。

ことばを使って、心の中でじぶん自身について抽象的に考えられるのが、私たち人間の特徴。
すなわち、インナースピーチ(内語)を駆使できるのです。

ものごころ付く頃から、死ぬまで、毎日使っているインナースピーチ。
私たち人間は、2歳ごろから、心の働きについて内面的に表現することを始めます。
そして、4歳ごろには明示的に表現できるようになります。

心の中のことばを使うことで、高次の意識をつくりだし、支えているのです。(*注3)
内語は、じぶんという意識をカタチづくる媒体。
一生を通し、1億回にもおよぶ回数をくりかえしながら、じぶんという心の働きに触れているのです。

ここまで、まだいまひとつ、ピンと来ない部分があると感じられる方もいるでしょう。
その理由は、心の中のことばには、瞬時に浮かんでは消えてしまう断片のようなものから、後から思い当たるハッキリしたものまで、多岐にわたるからです。
気がつかないもの、意識化・言語化できないものもたくさんあります。

その一方で、インナースピーチという捉え方(概念)を知ることで、思い浮かべたり、想像したりすることができます。
次回は、ふだんだれもが使っているインナースピーチについてお話しします。
あーそれもインナースピーチなんだ!と、心当たりが浮かぶことでしょう。

インナースピーチ (3) 学習の要は内面化して身につけることへつづく

インナースピーチ (1) 思考を形づくる心の中のことばへもどる

出典・参照:以下のエンパレットなど

(*注1)「じぶんが言った、という事実がじぶん自身に説得力を持つ」(ダニエル・デネット、1993)

(*注2)「人間と動物の違いは、意識的であることを意識する能力である。」(ジェラルド・エデルマンら、2011)

(*注3)発することばが、言語と意識の深いつながりを示しています。Alain Morin 『Inner Speech and Self-Awareness』(アラン・モリン、1993)

Romain Grandchampほか『Condensation, Dialogality, and Intentionality Dimensions of Inner Speech』

感情は「感覚の意味づくり」のこと Words Seeds Concept

天然資源のアナロジー(出し入れする声セリフこそ)

Self-Talk(ポジティブ思考よりも、じぶんに気づくこと)

人生は2秒単位でできている③(思考の単位)

ゼロ人称のじぶん①(発話以前のわたし)