Empathemian『A Gramophone』

Can you hear me?(聞こえる?)

寺田寅彦『蓄音ちくおん機』。
いまからちょうど100年前、新聞に掲載されたエッセイです。(*注1)
当時、エジソンの発明から50年たち、レコードの普及が始まっていました。(*注2)

「蓄音機が完成したあかつきに望み得られることのうちで私が好ましいと思う一つのものは、あらゆる「自然の音」のレコードである。
たとえば山里の夜明けに聞こえるような鶏犬の声に和する谷川の音、あるいは浜べの夕やみに響く波の音の絶え間をつなぐ船歌の声、そういう種類のものの忠実なるレコードができたとすれば、ちりの都に住んで雑事に忙殺されているような人が僅少な時間をさいて心を無垢な自然の境地に遊ばせる事もできようし、長い月日を病床に呻吟する不幸な人々の神経を有害に刺激する事なしに無聊を慰め精神的の治療に資する事もできはしまいか。」

検索すれば、ほとんど、「何でも動画で見られる」現代生活。
ネット上で暮らす時間は、1年のうち100日以上(1日平均7時間)とさえ言われます。
録音や録画は、心の一部(?)かもしれません。(*注3)

では、録音は録画の一部でしょうか?
いいえ、ちがいます。
スマホで録画をすれば、いっしょに録音もされます。
が、別々の機能です。

なぜなら、人間の「目と耳」の働きに違いがあるからです。

Sound is granular.(音はつぶつぶ)

「人間の耳には不思議な特長があって、目の場合には望まれない選択作用が行なわれる。
すなわち雑多な音の中から自分の欲する音だけを抽出して聞き分ける能力を耳はもっている。
音楽家が演奏をしている時に風や雨の音、時には自分の打っているキーの不完全なてこのきしる音ですらも、心がそれに向いていなければ耳には響いても頭には通じない。
この驚くべき聴感の能力のおかげで、われわれは喧騒の中に会話を取りかわす事ができ、管弦楽の中からセロやクラリネットや任意の楽器の音を拾い出す事ができる。
これに反して目のほうでは白色の中から赤や緑を抜き出す事が不可能であり、画面から汚点を除却して見る事はどうしてもできない。」

考えてみることもないですね。
色は混ざってしまいます。
音は混ざっているようでも、色のように混ざっているのではありません。

音はつぶつぶ感を残したまま、ひとつひとつを味わうことができます。
その音でできたことばも、味わうことができます。

蓄音機と人間の不思議②(ことばはふりかえるから内面化する)へつづく

出典・参照:寺田寅彦随想集、以下のエンパレットなど

(*注1)「蓄音機」(青空文庫)

(*注2)「エジソンの最初の蓄音機は、音のために生じた膜の振動を、円筒の上にらせん形に刻んだみぞに張り渡した錫箔すずはくの上に印するもので、今から見ればきわめて不完全なものであった。ある母音や子音は明瞭に出ても、たとえばSの音などはどうしても再現ができなかったそうである。その後にサムナー・テーンターやグラハム・ベルらの研究によって錫箔すずはくの代わりに蝋管ろうかんを使うようになり、さらにベルリナーの発明などがあって今日のグラモフォーンすなわち平円盤蓄音機ができ、今ではこれが世界のすみずみまで行き渡っている。 音波によって起こされた電流の変化を、電磁石によって鋼鉄の針金の付磁の変化に翻訳して記録し、随時にそれを音として再現する装置もすでに発見されて、現にわが国にも一台ぐらいは来ているはずである。これならば任意に長い記録を作る事も理論上可能なわけであるが、なんと言っても電気装置などを使わずに弾条ばねと歯車だけで働くグラモフォンの軽便なのには及ばないわけである。」

(*注3)現代生活のネット時間についてインナースピーチ 心の中のことばを抽出する(1)思考を形づくる内語(注4をごらんください)

心のバランスシート③ [でもモードは裏表の両面で]

円と三角とカタツムリ [声をカタチに変換するフィルター]

ピタゴラスのそら豆(とタイムカプセル)

種の中の種子が育つように