Empathemian『声の空気』

The voice comes to mind by itself.(声がひとりでに思い出てくる)

40年ぶりに、小学校の同級生から便りがあった。

エンパシームのサイトからの「申し込み」メール。
先日地元で行われた、私の講演会の新聞記事を読んだので、と添えてあった。

さっそく、そのメールにあてて連絡をとった。
すると「40年分をいっぺんに語るのは無理」と言いながら、近況が要領よく、丁寧に書かれていた。

添付された一枚の家族写真。
二人の娘さんとご両親が映っていた。

そこに、遠慮気味に写る彼の姿がある。
表情も昔のままだ。

お母上の顔から声が発せられてくるようだ。
じぶんの内側から、声が湧き出てくる。

昔の光景が思い出される、というより、
内側に「思い出てくる」のだ。

何だろう、この感覚は。
家に遊びに行ったのは、50年近く前のこと。
それも数えられる回数のはずである。

その声には、風のような清涼感があった。
明るくて、空気の中が漂うような。

覚えているとは、その人の声が思い出せること。
声がつくる空気の風景が再現されることだ。

だから、「なぜだろう」ではないのだ。
そのようなことが、いつも自然に起きていることに、気がつかないだけ。

一期いちご一会いちえは、声でできている。

人間は息をして生きている。
その息のふるえで、声ことばはできている。

声は、ことばをつくる。
ことばは、空気をつくる。
その空気は、縦横無尽に、つながっている。

一生に一回の出来事で、十分。
声のことばが脳裏に刻印される。

そのことを、たしかめられる日が来る。
インナースピーチのタネがいつも身の周りの空気に飛んでいる。

Memories are all in voice.(すべては声の中に)

出典・参照:以下のエンパレットなど。

「思い出すことはじぶんをつくること」

「思い出すから記憶になる」

「肉声は心の中心にある(音とイメージをつなぐもの)」

「心の中に生きている (AI時代でも変わらない本質)」

「ことばの種は、あとから芽生える」