We are mind.(私たちの存在が心)

人間と見分けのつかない外見をして、人間のまねをして考える機械。
それは人間ですか?
それともロボットですか?
では、人間の良心をもったロボットは、どうでしょう?

じつは、この話の本質は、人間かロボットかではありません。
そのことを示してくれるお話があります。

手塚治虫作『火の鳥・復活編』。
ロビタというロボットが登場します。

ロビタは、何でも人間の代わりに嫌な仕事をこなすスーパーロボットではありません。
古めかしく、ぶかっこうで不器用な機械ロボットです。
でも、どこか人間らしさがあり、愛着を感じさせるロボット。

ロビタは人間の心のわかるロボットなのです。
なぜかといえば、人間の記憶をもっているからです。

数百年の時間、地球と月を舞台に、
複数のストーリーが展開していき、その経緯が次第に明らかになっていきます。

ロビタは、人工知能によって人間の心を「わかる」のではありません。
直接的に、人間の心とふれあうことができるのです。
しかし、 ロボットなのに人間の良心をもっていたことが原因で、人間の気分を損ね、いのちを奪われることになってしまいました。

ロビタの存在は、人間の心のありようを映し出す、鏡のような存在です。

心の本質。 
それは、じぶんと、じぶんではない存在(他者)との関係にあります。
他者とは、人間であれ、ロボットであれ、このじぶんとは、ちがう身体をもった存在です。

心によって想像することで、別々の存在同士が、通いあったり、響きあえる。
その一方では、 つながらず、通わずということも起こる。
私たちは、他者という鏡によって、心に気づく。

じぶんと他のじぶんが、つながっているということです。
別々の、おなじような存在だからこそ、共に生きているのです。

心は、人間の身体の内側だけにあるのではありません。
心の世界の中に包まれ、浸っているのです。

大森荘蔵さんは、こう言います。
「電車の向かいの席に座っている老人は、向かいの席にいる。
私の心の中に腰掛けている老人はいない。
「私の心の中」などはありはしない。
私の「心」というものがあるとすれば、
この「ここにいる私」と「そこに見える風景」がつくるこの全体的状況が「心」である以外にはない。」

We are life.(存在がいのち)

AIロボットの存在がとても身近になった現代。(*注1)
それでも、ことの本質は変わりません。
どんなAIがどれだけ便利な仕事をしてくれても、
AIに心があるも、ないも、ありません。
すべてを含めて、私たちは共に、心の中に生きているのです。

出典・参照:手塚治虫『火の鳥・復活篇』、大森荘蔵『物と心』、以下のエンパレットなど

(*注1)たとえば、あなたの質問や問いかけ、依頼に応じて文書を作成してくれるAI、ChatGPTがあります。大規模言語モデルに基づき、機械学習アルゴリズムを使用して、自然言語処理や文書作成をします。

「じぶん・じかんプラクティス ②(哲学からのヒント)」

「包む世界全体が魂」

「AIって、こわいの?」

「火の鳥」