Empathemian『Empatheme seeds a chance・未知のじぶんの種は、あとから芽生える』

私が20歳の時、父は病床に伏しました。脳梗塞の後遺症で運動神経が麻痺し、半身不随でした。目も耳も意識も明瞭でしたが、「声のことば」を発することができませんでした。構音障害という病気です。

「声ことば」は、肺からの気流を、声帯で振動でさせ、ノドや口・鼻で共鳴させ、舌や顎によって、区切りをつける身体運動です。声の「つぶ」が連なり、空間に濃淡がつく現象。それが、失われていました。

父が他界するまでの5年間、「ひらがな文字盤」が声ことばのための道具でした。父の左手を支え、指先がひらがなにふれるごとに、私が一音ずつ発音します。息づかい、目くばせ、うなづき、表情。雰囲気の中の「ひらがな列」を、共に話し、共に聞くのです。

ことばは、声でできています。声は息でできています。息は身体のふるまいでできています。そのふるまいは、お互いが相手とむきあい、ふれあい、わかちあう小さな空間で生まれます。そこにできる、ひと時の時間のリズム。それが心であり、ことばです。

父が私に贈ってくれた最後のことば。

て・い・ね・い・に・い・き・よ
ひ・と・の・た・め・に

あれから30年以上たち、じぶんでじぶんに、この声ことばをかけてみた時、すべてが氷解しました。あの小さな時空が、いま、「種」になり、芽生えてきたかのようでした。はじめて気づいたのです。先人の「実」であることばは、いったん、じぶんという土壌にまかれることで「種」になる。それは、声にして、そのひとことを、そのまま、出力することで芽生えるのです。

ふだん、あたりまえに思っていることも、身をもって、ふれ直し、結び直すことによって、後からさかのぼって、未知の可能性に変えることができる。エンパシームは、じぶんサイズの空間、じぶんリズムの時間を誘い、みちびき、ガイドし、よりそうメソッドです。