創設趣意

 

 

問い:未知の「じぶん」にふれるきっかけ

ー 共通の課題に向きあう ー

 

テクノロジーの発展によって、便利なモノや情報が、いくらでも手に入るかのように思われる現代社会。

ただ、いくら便利になっても、毎日のじぶんにとって、日常はせわしなく、不安やわずらわしさは尽きない。

なぜだろう。

「自分のことは自分がよく知っている」はずなのに。

物心ついてからずっと、そのように教えられ、そのつもりで生きている。

でも、自分について知っているのは、外側から他人が見た知識や、「過去の情報」なのではないだろうか。

「じぶん」のことを、外側から調べることはいくらでもできる。けれども、内側から心の働きで感じられる「じぶん」のことは、よくわからない。

まだ知らない「じぶん」に向きあうには、どうしたらよいのだろう。

つい、どこかでだれかの「答え」を調べたくなってしまう。もちろん、そこに「じぶん」の内側があるはずもないことぐらい、わかっているのだけれど。

かけがえのない、いちどかぎりの、未知の可能性をもった「じぶん」。だれも、かわりにはなれないもの。

現代社会を生きる私たちの日常生活は、気づきにくい「過剰」と「制約」に満ちている。ほんのわずかなゆとりをつくることが、とてもむずかしい。

だから、だれでも手持ちの力でできる、やさしい方法と、親身になってその手助けになれる、あたらしい「取り組み」が必要になっている。

じぶんの手で、「じぶんの未知」にふれるきっかけをつくることこそ、だれにとっても共通の、とても切実な「課題」である。

 

手立て:共感素「エンパシーム」

ー 新しいコンセプトで路をひらく ー

 

手立ては、ありのままの、小さなじぶん。

いつものじぶんをゆるめて、ほんのひとときにゆだねる時にだけ、自然にあらわれる、素のじぶん。
それを呼び出すこと。

そのじぶんがふれあう「もの」や「空気」と「共に感じる」時の、小さな「ふるまい」が、共感素「エンパシーム」になる。

エンパシームは、あとでたどれるように残して、自由に活かすことのできる、小さなじかんの「単位」。

そこで自然に表れる、素手と素声のふるまいに、じぶんの内側が写っている。

「たなと」と「えんろ」は、人間に備わった「共感」の力が発揮されるような手助けになる。

小さな「間」をそっと写し、活かすための、作法のテクノロジー。

それは、身心(じぶん)が周囲と一体になって感じられるように、しむけて、待つときにだけ、自然に表れる、その作法によってのみ動くもの。

これまでになかった新しい発明、新しいアート。

「かけがえのない、いちどかぎりのじぶん」が、じぶんの「未知」の力にふれるきっかけと、他者を思いやり、ひとと助けあう力になるために。それが安心してできるように。

共感の素「エンパシーム」を身につけて、世に活かそう。

さあ、「たなと」からはじめてみませんか。

縁路をつくる