Empathemian『形端影直』

形端影直けいたんえいちょく

正しい行いは、そのまま現れる。
はじめのかたちがそのまま、じかにうつる。

唐代初期の詩人、王勃の詩に、こんな対句があります。(注1)

源潔即流清
形端即影直

みなもとの水が澄んでいれば、流れも清い。
ふるまいが正しければ、影もまっすぐ。

「形端影直」は含蓄のあることばです。
かみくだいてみましょう。

形が正しければ、そのまま、直に影ができる。
形は影に現れる。写った影によって、じぶんの形がわかる。
映り出たものを見なければ、じぶんの姿はわからない。
一方、影だけをつくることも、影だけまっすぐにすることもできない。
どちらかだけをつくることはできない。
姿勢をつくることと、そのとおり現れることは一緒のことである。

 

このことばに、プラクティスの核心があります。
じぶんのふるまいをふりかえるためには、姿勢の鏡がいります。
うつしたものをみる以外に確かめられません。
でも、うつしたもの(結果)を見ることだけが目的になると、ふるまいづらくなります。
どんなプラクティスでも、「くりかえし、ふりかえり、たしかめて、気づくこと」が大切。
ところが、それを意識しすぎると、かえってできなくなってしまう、という意味です。

飾らず、構えず、考えすぎず。
身体の力を抜いて、自然な流れで。
小さな行為が、そのまま現れて、じぶんの姿が影に映る時。
その時、「形端=影直」の状態になっています。
無理に、「形端→影直」を意識せずに、そのまま現れるように、ゆだねることです。
陽の光をあびれば、かならず、じぶんの影ができているように。

Reflect your micro-actions in Empatheme.(小さなふるまいをエンパシームにうつす)

「形端影直」を、小さくかみ砕いて、ふだんの生活の中でプラクティスできるようにしたのが、エンパシームメソッドです。

静かにすわり、ひと息のことばを出してみるだけです。
すると、エンパシームに、ひと息のことばがうつります。


出典・参照:坂口立考『海の宮17号・百年の青雲』、王勃「上刘右相书』

(注1)「形端影直」と似たことばに、「形直影端」(姿勢が美しければ、影もまたまっすぐ)があります。
禅や茶の湯の書で使われますが、出典は、唐代の禅僧、潙山霊祐と言われ、王勃よりあとの時代の人です。
なお、王勃は「青雲の志」ということばでも知られます。ここに引用した対句は、志を保つ核心のことばです。