
家族だけのしめやかな葬儀は、僧侶である兄のことばに導かれた。
『修証義』を読み上げる自分の声は拙いが、他に頼れるものはなかった。
兄は「月心佳香大姉」と書き入れた姉の位牌を持って法話をはじめた。
「姉は、月の光のようでした。」
兄弟の意識が連続しているという安堵感が、喪失感に入り交じった。
「人はみな、借りを返しながら生きるのです。」
その時以来、姉は名実ともに、私の三日月になった。
私は毎日を大切に生きることを誓った。
毎日、通勤の車内で『修証義』を聴いた。
悲しみが少しずつ和らいでいくうちに、「発願利生」ということばが、さざ波のように私の心に迫ってきた。
具体的な四つの実践方法がある、という。
「布施、愛語、利行、同事」
すなわち、「役に立つもの、やさしいことば、人のためのおこない、わけへだてのない心」
天に浮かぶ三日月の、呼び声が聞こえるようになった。
I’m with you.(いつも、いるよ)
「お母さんを大切にね。」
姉と別れ際に交わしたことばを思い出す。
その声が、私自身のことばになった。
私は、じぶんだけではなく、娘を失った母の心中を、深く察するようになった。
これが「感謝の気持ちを本当に忘れない」ことの、最初のきっかけである。
忘れていない状態とは、毎日思い出すことのできる姿勢を保つこと。
そのためには、具体的な身体行為を実践する以外に方法はない。
声のあることばで、心を表現すること。
ありがとう、ということばで自分の心が震えるようにすること。
声の響きのあることばで語り、自分でそのことばを聴き、そして書いて確かめること。
エンパシームは、よりそう相手。
「あ」は、月の光。
ココロをひらかれる、静かな間。
火星に帰ったよ [心の宇宙を共にゆく] へつづく。(明日の配信後にリンクされます)
出典・参照:坂口立考 海の宮『ことばの声』(2009年)
エンパシームへの路(エンパシームファウンデーション ミッション)