アメンボの気分になる|世界の受けとめ方(カント)
スイスイと泳ぐアメンボの気分。それを想像できるのは、人間に共感の力が備わっているから。私たちは「物事が先にあり、それがありのままに入ってきて、それを認識する」と思っていますが、実は話は逆なのです。体験と想像の働きによって、物事をみる形式を身につけているのです。「アメンボがスイスイとしている」のは、心という現象なのです。
I’m a water slider.(アメンボの気分)
スイスイと泳ぐアメンボの気分。それを想像できるのは、人間に共感の力が備わっているから。私たちは「物事が先にあり、それがありのままに入ってきて、それを認識する」と思っていますが、実は話は逆なのです。体験と想像の働きによって、物事をみる形式を身につけているのです。「アメンボがスイスイとしている」のは、心という現象なのです。
I’m a water slider.(アメンボの気分)
地図をさかさまにしてみると新鮮な驚きがあります。「さかさまにしてみる」ことは、身についた習慣に気づくきっかけになります。「こうしたら、どうなる」という答えがすぐに得られると、気づかぬうちに考えていることも、ひとつの強力なフレーム(捉え方の枠組み、習慣)です。さかさまを試すことで、じぶんに気づく可能性がぐんと増えます。
You can always try it the other around.(いつだって、さかさまにしてみることができるよ)
むいたリンゴの皮を観察したことはありますか?はじめ右巻きにむいていたはずの皮が、最後は左巻きになっていますね。物事は反対側から見てはじめて、ふだんのじぶんの見方に気づきます。見方を変えようと思ってもきっかけなしには変わりません。見方自体が固定されているからです。むいたリンゴの皮のくるくるに、じぶんの姿が映っています。
Try the other way around.(反対むきにやってみる)
生きる目的は何か?このような質問されると、どこかに答えがあり、それを求めて探すべきことのような気になります。ところが、カントは明快にこう言います。「人間は何のために存在するのかという問いは、そもそも無意味である。じぶん自身の中にいちばん大切な目的がある。存在しない設問を立てて迷ってはいけない。目的はねがいの中にある。」
The purpose of life is a life of purpose.(人生の目的は、ねがいを育てて生きること)
ギリシャの格言「タ・パテマータ、マテマータ」は「人は痛みによって学ぶ」という意味です。パテマータは、身に受ける痛みの体験。パトス、パッションと同じ語源で、受け身の心。マテマータは学ぶこと。「数学」と翻訳されたマテマティクス の語源と同じで、想像、推論の働き。物事をじぶんと結びつける力の原点は、他者の痛みに共感すること。
Guide your learning through pain.(痛みこそ、学びのガイド)
ペルシャの詩人、ルーミーのことば「じぶん自身が水滴であり、大海である。海の一滴ではなく、一滴いっぱいの海である。」私たちはふだん「私の体、私の心、私の命、私の健康、私の幸福、私の人生」というふうに、何でもじぶんの「持ちもの」のように思うことに慣れすぎ、身心は自然の一部であり、大きな力を秘めていることを知らずにいます。
You are not a drop in the ocean. You are the entire ocean in a drop.(じぶんは海の一滴ではなく、一滴いっぱいの海である。
ピーター・ゴドフリー=スミスさんは言います。「タコは、相手(人間のこと)を実によく知っている。気に入らないと嫌がらせをしたり、いたずらしたりする。しかも、人間の反応を「楽しんでいる」かのような行動をとる。」世界は、もともと自他が連続しているのです。「心」というつながりの中で、みな共に生きています。そのことを学びながら。
We all live in connection.(私たちは、みなつながって生きている)
絵本『100万回生きた猫』を知っていますか?100万回聞いても、1度も聞こえていなかったことば。100万回見ても、1度も見えていなかった世界。100万回生きても、1度も実感がなかったいのち。それが初めて、たった1回で本当に感じられる時が来たのです。じぶんが相手と共にあることが大切に感じられる時、その1度が現れるのです。
Life is in the moment. (刻々の中に生がある)
私たちは、自分の中に何か欠けたものがあると考えますね。でも本当は「じぶんに」何かが欠けているのではなくて、じぶんの存在する世界を忘れているのです。じぶんを包んでいる世界。じぶんもその一部であることを忘れているのです。じぶんのミッシングピースを探すのではなく、じぶんがミッシングピースになっていることに気づくことです。
I am the missing piece.(じぶんのほうがミッシングピース)
Pulpo A La Gallega (タコのガリシア風)。やわらかく茹でたタコとじゃがいもの、組みあわせの妙。脇役も大切な役割を果たします。いえ、脇役がいないと、Pulpo A La Gallegaにはなりません。おいしさの秘密は素材が融合してわけへだてのない状態になること。じぶん自身もひとつの料理としてみると?
Every action counts.(すべての所作が大切)