Empathemia,「Platero y yo」y yo

Si te dan papel pautado, escribe por el otro lado.(線のついた紙を渡されたら、裏側に書こう)

自由に書いてごらん。
そう言われても、線にそって書きますよね。
気づかぬうちに、与えられた枠にはまっています。

『プラテーロとわたし』の作者、フアン・ラモン・ヒメネスのことばです。
『プラテーロとわたし』は、100年以上、世界中で親しまれてきた作品です。

プラテーロは、小さな「銀の」ロバ。(*注1)
ふさふさと柔らかい毛。
素朴で、優しくて、純真な心。

共に歩む同士。
何でも打ち明けられる存在。

お互いのことばはわからないけれど、
それ以外は、すべてを理解しあっている。

生きていることの素朴なよろこび。
なつかしく、安らぎに満ちあふれた作品です。

詩のような文章。
語るように書かれた詩。

こんどは、じぶんのことばで
原文を、じぶんにむけて、自由な気持ちで、語り直してみます。

この本が世にでた時
友達にもらった
ボール紙のお前

お前のことを
思い出すから
好きになってきた

訪ねてくる人は
みんな笑顔で
お前に声をかける
プラテーロ!

知らない人に聞かれたら
ちゃんと答える
これはプラテーロですと

だんだん
名前に気持ちがなじんで
ぼくもそう思う

これはお前だよ
そして目で見て
やさしくする

でもひどいね
心の記憶って
ボール紙のプラテーロは
ますます
お前よりもお前に見えるんだ

* *

「プラテーロとわたし」と「私のプラテーロ」とじぶん

心の中に生きている

プラテーロの過去のイメージが
どこかに存在していて
そのコピーが脳の中に現れる。

いや、そうではない。

プラテーロを
ことばに出して語るたびに、
いつも、そこに生きている。

思い出は過去の写真ではなく
声に出して語る、この[いま] 自体が思い出。

人は、生きている。
思い出の現場を。
直接、そのまま、
心の中に、生きている。

出典・参照:Juan Ramon Jimenez『Platero y yo』、以下のエンパレットなど

(*注1) plateroは、銀細工職人を表すことば。

じぶん・じかんプラクティス②(哲学からのヒント)

いつでも会える [共に感じる世界]

フアン・ラモン・ヒメネス