Empathemian, 『What goes out is what come in』

What goes out is what comes in.(出力が入力になる)

気づかずとも、くりかえししていることが、プラクティス。
意識はしていなくても、心の中で言っていることがプラクティス。

人間の思考や想像にはパターンがあります。
考える、という行為は、ランダムに(たまたま)する、というわけにはいきません。
したがって、誰でも、いつもの考え方、固有の感じ方、「思考のクセ」があるわけです。

一方、新しい見方は、それまでの見方に気づかなければ、生まれようがありません。
でも、それまでとはちがう見方が出てこない限り、前の見方に気づきようもありません。

どうしたらよいでしょうか?

新しい見方が、もうある、というつもりでやってみることです。
新しい考え方のフリをするのです。
そうやって一歩踏めば、必ず変化がおきます。

Act as if you already have it. (すでに新しい見方のつもりでふるまう)

Empathemian, クリカエシビリティ

じぶんの声が、最大の味方。
いちばんの力です。
じぶんにむかって、声に出して言うのです。

声に出す時:
① じぶんで、そのことばを聞いている。
② ごくわずかの時間で、くりかえせる。
③ くりかえすことばが、思い出しやすい。
④ ことばにする、ふるまい自体が身につく。

くりかえすことで、記憶に定着します。
くりかえすというプラクティスそのものが、身につきます。

ところで、記憶のメカニズムは「伝言ゲーム」に似ています。(*注1)
ことばが伝言されていく間に、はじめのメッセージが少しずつ変わっていきます。

記憶は、思い出す時に、いちばんはじめのものを思い出すのではありません。
前に思い出したことを思い出します。
記憶という現象が、どんどん伝わっていくのですね。

だから、くりかえすことばも、そのような持続の中で出てきます。
身につくとは、強力な記憶の保管場所のイメージではなく、くりかえしが起きやすい状態のこと。

身につくとは、ふるまいがくりかえされること。
プラクティスが続きやすいこと。
「小さな修養」と、あえて「小さな」という形容詞をつけた理由は、ほんの数秒のふるまいだからです。
声を出す時間、2-3秒という、小さな行為だからこそ、たくさん、くりかえせます。
修養の原理は「小さなふるまいによってこそ、くりかえされる」ことなのです。

小さな修養の原理①(95%は無意識のふるまい)

小さな修養の原理②(プラクティスだけが唯一の持ちもの)

出典・参照:以下のエンパレットなど

(*注1)英語ではTelephone gameと呼ばれます。記憶のメカニズムが伝言ゲームに似ている、という研究報告の例は:

Your Memory is like the Telephone Game

クリカエシビリティこそ [プラクティスの真髄]

内語をふるまう

内語に親しもう

声は、じぶんと宇宙を結ぶ路

記憶のサイエンスとプラクティス