養生 (Take care.)
養生(ようじょう)ということばを辞書でひくと、病気の回復、健康の増進という説明が出てきますが、本来、治療や栄養の補給のことではありません。江戸時代の本草学者・貝原益軒は、『養生訓』でこう記します。人間が本来もっている心身の調和を保つこと。心身の平静を保つようにじぶん自身をみちびくこと。やさしい心を持つことです。
Take care.(養生せよ)
養生(ようじょう)ということばを辞書でひくと、病気の回復、健康の増進という説明が出てきますが、本来、治療や栄養の補給のことではありません。江戸時代の本草学者・貝原益軒は、『養生訓』でこう記します。人間が本来もっている心身の調和を保つこと。心身の平静を保つようにじぶん自身をみちびくこと。やさしい心を持つことです。
Take care.(養生せよ)
共感とは、じぶんと他者がつながっていること、そのもの。もともと、私たちはみな「空気」でつながっています。でも、つながっているものを、ふだんは「わけへだて」しながら生きています。だから「じぶんと相手を結びつける」というのは結び直すこと。もともとつながっていたことを、忘れているのです。共感とは、その事実に気づくことです。
We are already connected!
変形性ひざ関節症を克服したYさんのお話です。「リハビリの先生がこう言ったんです。あなたは歩行中、右に曲がる時に、微妙にヒザがねじれていますよ」と。何十年も、曲がるたびに負荷がかかっていたんですね。リハビリのおかげで、山歩きもしっかりするようになりました。歩き続けることで、ヒザへのお礼の気持ちを忘れないようにしています。
You realize it when you do it over.(もう一度やって、はじめてわかる)
円周率(円周の長さと直径の比)はどこにある?人間の頭の中です。数は人間の想像行為の産物。無限も数えようとすればキリなくできるという概念です。数えるから、数。断片的に見たものをつなげて思い出せるから、夢。想像できるから「どこでもドア」。想像の体験に「まちがい」はありません。確かに、じぶんの世界が編み出されるのですから。
Imagine just like you walk on your trail.(じぶんのトレイルを歩くみたいに想像してみよう)
しずかさや 岩にしみいる 蝉の声(芭蕉の句)岩にしみ入るほどの盛大なセミの声が、静かさとは?セミの大群の鳴く夏が去ったからです。思い出すことで閑かさが感じられます。今夏、アメリカ北東部の木々は、鈴なりの17年周期ゼミで覆われました。数千億にものぼる、想像を超える数!いいえ、想像することを忘れているだけかもしれません。
The mind is an activity, not a repository.(心は活動。貯蔵庫ではなく).
うれしい朝、眠たい海、気持ちよさそうな舟。心をうつすことば、ことばに映る心。私たちは、気づかぬうちに、心をうつしています。やわらいだ気持ちでつむぎだすことばに、じぶんの無意識が写ります。心は、ことばにうつして、ふれるもの。いいえ、それだけではありません。ことばをわかちあって、みんなで心をうつしあうことができます。
Happy morning, still sleepy sea.(うれしい朝、ねむたい海)
どんな学びも最も基本的な動作を覚えない限り、何も習得できません。野球ならキャッチボール、料理なら包丁の使い方、ふだんの生活にはことばが使えること。それらを丸暗記とは呼びません。身体に丸ごと取りこみ、文字に頼らず言えるようになること。声に出すことで脳の処理が活性化します。古来より最も確実で信頼性の高い学びのメソッドです。
Practice what you learn.(知識は実践して身につけるもの)
ブッダは言いました。「じぶんのふるまいだけが唯一のもちもの。」私の記憶、私の想像、私の記録。私の家族、私の友人、私の会社。私の成果、私の幸福。私の人生。本当に、私の持ち物なの?いいえ。生きている、このいまの、ふるまいだけが、じぶんです。i am life. (じぶんはいのち)と言ってみると、新鮮な風が吹きこんできます。
My true belongings are my actions.
音は気圧の変化、その繰り返しです。肺からの空気の上昇気流で声をつくります。空気がのど奥を通りぬける時、 声帯が振動します。さらに、のど、口、鼻など、身体内の空間を変化させると音が共鳴し、これに歯や舌を使って吐き出す風切り音があわさります。ことばは、声の身体運動。意識と無意識のあいだで織りなす、オトのつらなりです。
We all work together.
たくさん勉強時間を使っても報われないのはなぜ?想像するプラクティス、それをいつもおなじようにできる姿勢をつくること。記憶のサイエンスをプラクティスに役立てるには、メカニズムを知っているだけでは、身につきません。想像する姿勢をつくる。姿勢と想像のあるプラクティスが持続すれば、かならず、報われます。それも掛け算で大きく。