ゆっくり、パッとひらめく。(無意識のじぶんとふれあって)
ダニエル・カーネマンは、人間の思考を「速い・遅い」という2種類の脳の情報処理で区別します。システム1は、直感的に情報を処理する速い思考。日常生活の大半は無意識的に物事を一瞬で把握するシステム1。システム2は意識的に情報を処理して、理解・判断する遅い思考。人間の思考は限定的に合理的なので両者をうまく活かす必要があります。
We are rational, but not that rational.(合理的?それほどでもない)
ダニエル・カーネマンは、人間の思考を「速い・遅い」という2種類の脳の情報処理で区別します。システム1は、直感的に情報を処理する速い思考。日常生活の大半は無意識的に物事を一瞬で把握するシステム1。システム2は意識的に情報を処理して、理解・判断する遅い思考。人間の思考は限定的に合理的なので両者をうまく活かす必要があります。
We are rational, but not that rational.(合理的?それほどでもない)
ケガや病気になれば、健康のありがたさがよくわかります。痛みは何よりも学びになります。痛という漢字を見て「痛い」話はちょっといやだな、と思った時、このことばを思い出しましょう。Pain is companion for life(痛みは生涯の友)。人は痛むから悲しい。痛むからうれしい。痛むからわかる。身に染みるからです。
I feel your pain.(痛いほど、わかるよ)
行住坐臥ということばがあります。人間の身体の基本姿勢です。その中で、坐は、ひとり静かに坐ることです。古来よりブッダにおける禅定、古代インド諸宗教の瞑想坐、ひとり静かに坐ることが人間の精神にとって根本的であるということを示しています。静かに坐り、何もしないこと。坐る行為によって、無条件に命にとって大切なことを学ぶのです。
Sit calmly.(しずかに坐る)
『十牛図』は、禅の思想を表した詩画。「飼っていた牛が逃げた。それを探しに出る。足跡を見つけ、牛を発見する。つかまえ、手なづけ、牛にのって家に戻る。牛を小屋に入れると、もう牛のことを忘れてしまう。牛も飼い主のことを忘れ、そこには、ひとつの円相だけがあるー」人も、牛も、共に忘れている。わけへだてのない、自在な境地の表現。
Go with the flow.(流れにゆだねて)
ルソーは「最も多く生きた人とは、生を最も多く感じた人である」と言います。多くを感じるとは、生きているという実感の数が多いことです。私たちは宇宙の一部。じぶんを包む自然とふれあい、つながりが感じられる、その瞬間の中に実感は生まれます。それを思い出して、ひと息の肉声でことばにすれば、脳内にインナースピーチの種が育ちます。
Cultivate your moment.(じぶんの瞬間を耕せ)
鳥が歌うのは、答えがあるからではありません。歌があるからです。マヤ・アンジェロウのことば。何か理由があるからでも、何かの目的の手段でもない。心に歌があれば自然に歌声になって現れる。歌えば全身に響いて心がひらきます。ひらけば無意識に構えているじぶんの心が和らぎ、穏やかな気持ちになれます。歌えばインナースピーチになります。
A bird doesn’t sing because it has an answer, it sings because it has a song.(鳥がうたうのは答えがあるからではない。歌うのは、歌があるから)
自然の世界は、自他をわけへだてず、共に、調子をあわせて生きています。人間も実は、同じように、じぶん自身のなかに、同調するしくみを備えています。これを「自己同調」と言います。脳のリズムと身体の活動状態の関係(体温・睡眠・覚醒)も、話している人の単音・単語・フレーズも、また、まばたきやその他の身体の動きも同調しています。
We live in synchrony.(調和して生きている)
想像とは、見えるものを介して、目に見えないものを見ようとすることです。あたかも見えているようなその気になって、そのフリをしてじぶんと結びつけてみることです。フリをするというと、なにかの演技のように聞こえるかもしれませんが、実は、想像は、絵を描くように、演じていることなのです。その時に使われる道具がメタファーです。
Use your minds’ eye.(心の目で見よう)
じぶんとは、ひとつぶの宇宙。リチャード・ファイマンの詩。「ゆりかごを離れ、こうして今、乾いた土地に佇む私は意識ある原子。好奇の目をもった物質。思惟することの驚異に打たれ、私は海辺に立ちつくす。その私は、原子の宇宙、宇宙の中の原子。」原子たちはもうとっくに入れ替わっているのに、一年前に私の頭の中に起こっていたことを思い出せるとは。」
I am a piece of the universe.(じぶんは、ひと粒の宇宙)
鷲田清一さんはこう言います。「ヒューマン (human) という語は、フムスhumusという、地面とか腐食土を意味するラテン語からきている。人間はこの地上の被造物であるから、ヒューマニティ と呼ばれる。よく似た単語に、ヒューミリティ (humility) がある。謙虚さという意味。これもhumusを語源としている。」
We are only human. (私たちは人間にすぎない)