Empathemian『ポルケとパラケ』

ポルケとパラケ?

ポルケ?どこかの民俗舞踊かな?

パラケ?パラなんとかってことばと関係ある?

どちらもスペイン語の「なぜ?」にあたることばです。(*注1)

ポルケ ¿Por qué?(なぜ?)( 理由や原因を聞く時)

パラケ ¿Para qué?(何で?) (目的や期待を聞く時)

なぜ?何で?
どちらもよく使うことばですが、あまり、区別なく使っています。

でも、このふたつには、少しちがいがあります。
「なぜ?」は、原因を探るカギとなることば。
でも、意外な落とし穴があります。

なぜかというと?

① ものごとは、たまたま起きるから(原因はわからない)

② 原因はひとつではないから(いろいろな要素がある)

ところが、なぜ?と聞くと、簡単に見つかる答えを探してしまいがちです。

すると今度は、じぶんで言った、その答えに縛られることになります。

たとえば、こんなセリフ。

「なぜ、ダメなんだろう?」

・それは、努力が足らないから(じぶんのせいにする)
・それは、〇〇のせい(人のせい、何かのせいにする)

「なぜ、キライなんだろう?」

・それは、まずいから(食べ物のせい)
・それは、〇〇が悪いから(だれかのせい)

つい、じぶんのせいか、他人のせいか、のどちらかを選ぶというパターンで理由づけができてしまいます。

すべてのものごとは、この大宇宙で起きている現象です。
簡単な答えがポンと出てくるはずもなさそうですが、私たちは原因や理由を簡単に決めることに慣れているわけです。

でも、原因や理由を知ろうとするのは「あたりまえ」だと思っていますよね。
だから、かえって「落とし穴」なのです。

Empathemian 『I don’t know.』

¿Para qué?(何のために?)

ひとつ、アイディアがあります。
ポルケ?ではなく、パラケ?と、じぶん自身に聞いてみましょう。

何のために、ダメなんだろう?
何のために、キライなんだろう?

ちょっと変な表現ですよね?
でも、そこがいいのです。

なぜ、やらないのか?と聞くと、つい、やらない理由が出てきてしまいます。
なぜ、キライなの?と聞くと、つい、キライな理由を探してしまいます。
本当は、別に何の理由もないのかもしれないのに。
そこで、あえて、何のために、キライなの?と言ってみるのです。

何のために、じぶんはそんなことを言っているの?
何のために、じぶんは、そう思っているのかな?
このように聞けば、別に何かの目的があって、やらないわけではないんだけど、というセリフがでやすくなります。

じぶんのことばで、じぶんの可能性を縛らなければよいだけなのです。
パラケ?を「じバリア」をはずす、キーワードにしてみましょう。(*注2)

勇気のカギは「勇気を出さない理由」をじぶんで探さないことです。
そうすれば、勇気は自然に湧いてくるものです。

Ask correctly.(正しく、聞け)

「理由や原因は、わからない」(I don’t know.)と言ってみるのも、ひとつの手です。

出典・参照:以下のエンパレットなど

Less is more (8) 勇気を生むには?

ふるまいで変われるじぶん

トランキイロ

(*注1)英語でも、理由・原因を聞く時、こんな表現を使います。

Why?
How come?
For what reason?
What makes you…?

目的・期待を聞く時には、

For what?
What purpose?

「パラケ」も万能ではありません。「何のために?」ということばも、そんなことやっても無駄だという決めつけが先にあると、ない理由を探すポルケとおなじになってしまいます。
大事なことは、じぶん自身に対して、シンプルに質問してみる、その仕方を工夫する、ということです。

(*注2)習慣:いちばん肝心なこと ③ じバリアに気づく