Empathemian, Grinnell, Iowa

ある学生さんと、こんな雑談をしました。

りっこう:好き嫌いある? 嫌いな食べ物とか。
学生:えーと、〇〇がきらいですねー。
り:ほう、〇〇が。
学:XXだから。苦手です。
り:なるほど。でも、知らないうちに変わるかも。
学:うーん、どうですかね。
り:これまで、XXっていう重みづけがされてきたんだ。
学:重みづけですか?
り:そう。重みをつける。脳でね。無意識的に。
学:そうなんですか。
り:無意識のじぶんが「好き嫌い」に映っている。
学:自分がしていることなんですよね?
り:重みづけが変わればね、別に嫌いでもなかったんだとか、好き・嫌いの話でなかった、とか思うかもしれないよ。
学:はあー。そうなんですか。そうだといいかもしれません。
り:どっちがいい?
学:そりゃ、変われた方がいいですけど。
り:変える、というより変わる。そっちに向けば。
学:そっちに向く、ですか?
り:そう。重みづけが変わる方向に。じぶんが道になればいいんだよ。

養老孟司さんは、こう言います。

入力(五感)と出力(筋運動)のあいだに脳がはさまっている。入出力系の重みづけが感情。好き嫌いも脳への入出力にかかった重み。特定の重みづけをされた世界像が、その人の現実。

入力系は何種類もあるが、出力系はひとつ。毎日のようにすることは、定型のループを自動化(無意識化)している。無意識的にしていることを、意識はそれをおこなうきかっけの部分のみ、働く。

環境と行動の、地続きのあいだに私がいる。その全体がじぶん。重みづけがかわるようにしむければ。

じぶんのふるまいで、世界は変わる。


出典:養老孟司『考えるヒト』