円と三角とカタツムリ [声をカタチに変換するフィルター]
声でことばを生み出し、それを聞き取るしくみ。耳の奥にある「蝸牛」という器官は入ってきた音波を分解して脳に信号を送るフィルターです。私たちの身体には、声をカタチで捉えるしくみが備わっています。エンパシームは、先人の遺産を受け継ぎ、情報が目で見て直感的に一瞬でわかるようにして、プラクティスに使えるようにした変換フィルター。
Voice nurtures the mind.(声が心を育む)
声でことばを生み出し、それを聞き取るしくみ。耳の奥にある「蝸牛」という器官は入ってきた音波を分解して脳に信号を送るフィルターです。私たちの身体には、声をカタチで捉えるしくみが備わっています。エンパシームは、先人の遺産を受け継ぎ、情報が目で見て直感的に一瞬でわかるようにして、プラクティスに使えるようにした変換フィルター。
Voice nurtures the mind.(声が心を育む)
50音のすべてをひとつずつ使った「いろは歌」は、かな文字を過不足なくつないで完結したストーリーで、ひとつの世界を表しています。おなじように、ひとつオリジナルのものをつくってみます。「エンパシーム道歌」です。あそび心をもって手を動かしていくうちに、縁にめぐりあえます。実はところどころ、見えないけれどつながっているのです。
Connect the dots. Some are already connected.(つないでみよ。いくつかは、もうつながっている)
民俗学者で、介護のあり方を追求する六車由実さんは、こう言います。「民俗学における聞き書きで、語られた言葉を正確に記述し、文脈に沿って解釈する。対等にむきあい、信頼関係を築く。忠実に記録し、理解し教えを頂くこと。」すべての学びにあてはまります。エンパシームは、じぶんと相手のことばを聞き、書き写し、互いの心に寄り添う場です。
Caring matters most .(相手の心によりそうことこそ)
作法とは、古くからの決まり事のことではありません。運動でも料理でも演奏でも、所作を定めたルールがあります。それらはみな、ある姿勢・状態をつくる方法です。身体でふるまいを身につけるために作法がいるのです。作法で反復することで無意識的にできるようになります。作法はプラクティスへの導き。最も大切なことは心を和らげることから。
Clear your surrounding.
Science is deeply imaginative.
福沢諭吉の著書『訓蒙・窮理図解』から。「温気の事。どんな物でも熱すれば膨張するし、冷やせば収縮する。自然界にあるすべての物が、熱の恩恵を受けている。空気の事。空気は世界を取り巻いて海のようである。」熱の恩恵、空気の海。目に見えない物事に共感のまなざしをむけることがサイエンスの心を養います。リベラルアーツもそういう意味。
「しあわせ」ということばの由来は「し・あわせる」こと。天がすることにあわせること。おなじ方向にじぶんを「しむける」ことです。英語の happyということばの由来は、「何かが起きる」(happen) ことです。主語は、it とか things です。つまり天とおなじことです。happyの状態になることは、しあわせること。
Things happen with me.
「英プラ」トレイル3、ストーリー「Look at the sky』より。大昔の人たちは、空に線を引いて「星座」を創造しました。星の光を見ることは、過去の姿をみること。空を見上げるだけで世界はひろがります。毎日、空を見上げるだけでよいのです。
絵本『カエルのおでかけ』。カエルにとっての「いいお天気」は雨の降る日です。カエルの気分になると見える世界。いったん「さかさま」になってみると、物事は意外によく思えてきます。心が軽くなります。私たちの日常にもにたようなことが、たくさんあります。声に出して言ってみると、その声がひびいて、ただのあべこべではなくなりますよ。
Try the other way round.
It’s all there.(みんなそこにある)
わかろうとすることは、もうあらわれている。見ようとすることも、もう見えている。「遍界不曾蔵」。目に見えない、向こうに、何かが隠されていると想像しますが、実は違うのです。見えているものの中に、まだ見えていない姿がある。聞こえている響の中に、まだ聞こえていない声がある。触れているものの間に、まだふれていないことばがある。
What you do is who you are.(することが、じぶんをあらわす)
わかろうとすることは、もうあらわれている。見ようとすることも、もう見えている。「遍界不曾蔵」。目に見えない、向こうに、何かが隠されていると想像しますが、実は違うのです。見えているものの中に、まだ見えていない姿がある。聞こえている響の中に、まだ聞こえていない声がある。触れているものの間に、まだふれていないことばがある。