Empathemian『うつす」

 

サイエンスは、自然現象とふれあい、その奥底にある原理や法則を探る、人間の営みです。科学的な方法とは、対象を観察し、測定・測量する実験過程を、客観的に記述することです。目には見えない現象の実験結果を、絵や記号をつかって表現し、何かに喩えて想像したり、未知の可能性を考えたりします。
 
「サイエンスをじぶんに向ける」ことはできるでしょうか?
だれかに測ってもらうことではなく、じぶんでじぶんを対象にしてできるか?という意味です。
 
従来、人間の心(ということばに表される複雑な現象)は、直接的に捉えて、それを一般化して誰にでも当てはめたりすることはできないとされてきました。心の修養は大事とされながらも、習熟をじぶんで測ったり、じぶん自身を勇気づけたりすることは真剣に考えられてはきませんでした。医療、スポーツなどのように、だれかが客観的に捉えたデータとおなじように、静穏の中の修養を扱うことがむずかしいからです。そのため、本人の努力か、それを端で「かんばれ」と応援する以上のことは、正面から捉えたブレークスルー、そのような試みはありませんでした。
 
しかし、じぶんのふるまいを捉え、間接的な表現に変えることによって、じぶんについて、いろいろな想像をしたり、推し量ったりすることはできます。じぶんのふるまいに、自然に現れたものを映しだし、それをあとでたどれるように写しとる。それを使って、ふりかえったり、想像したり、気づきや発見につなげる。じぶんが身をもって体験する自然な行為に現れたものを、直感的な表現にかえて感じとる。そのような、サイエンスをじぶんにむけて活かすことは、大きな意味があります。

 

Empathemian『うつる』

 

エンパシームは、小さなじかんの数として、ひとつふたつみっつと、数えられる、ふるまいの単位です。じぶん自身のふるまい単位の連なりとその中身を、じぶん自身で後からたどってみる。それはじぶんにとって想像の湧く数量化、何かの意味を見いだせるパターンの抽出です。他人が評価する自分の診断ではなく、想像するじぶんという、未知の可能性への目安、手がかり、共感の素材。みな、じぶんにむけたサイエンスです。
 
これまで、取るに足らないというか、気づくこともなかった、じぶんの息遣いや、ふるまいを、自然に、気分を壊すことも、意識して構えることもなく、残せるのですから、じぶんの小さな身体所作をデータにして、意味ある目安の数値を見出すこともできるでしょう。
 
たくさんの回数を繰り返す身体所作が捉えられれば、確率・統計的なふるまいも見えてくる可能性があります。独立事象の和の法則や、大数の法則は、何もコインやサイコロを投げる教科書上の話だけでなく、日常の現場で力を発揮することができるはずです。
 
エンパシームは、人間の身体所作、作法、じぶんを映し出すしくみ、そこからえられるデータをくみあわせ、ひとつの「エンパシームという哲学」のもとに編み出されたものです。それは、サイエンス、アート、テクノロジーという人間の英知を、だれもが日常の生活で実践(プラクティス)できるようにする、行動の思想。現代社会の中でこそ、サイエンスをじぶんにむけて活かすフィロソフィーです。
 
 

じぶんへのサイエンス」

「じぶんへのアート、じぶんからのアート」

 

出典:坂口立考『共感素がひらく路』