
Live life to its fullest, just as you are. (じぶんらしく、精一杯生きよ)
どう生きるべきか。
何をめざすべきか。
私たちは、いつの間にか、どのように生きなさい、という教えや価値基準にそって生きることが大切だと思うようになります。
本当にそうでしょうか。
外から与えられたものさしで考えるのではなく、「じぶんが手持ちの力で生きていくこと」を「倫理」として説いた人がいます。
その名をバールーフ・スピノザと言います。
人間の本質とは、その人の自然な力が発揮されることである
スピノザは、「じぶんの力で生きようとする力」こそ、人間の最も「じぶんらしい」の本質だと説きました。それを「コナトゥス」と呼び、ひとりひとりの「コナトゥス」を大切にできる自由について説きます。(•注1)
私はどんなコナトゥスを持っているのだろう?どんな自由があるのでしょう?
鳥は、空気の中で飛びます。魚は、水の中で泳ぎます。どちらも、制約のない場所で自由なのではありません。空気や水という条件の中で、持てる力を発揮しているのです。
私たちも、おなじです。
何でも自由にできることが、自由なのではありません。いまある身体、いまあることば、いまいる場所、いま出会っている人。その中で、手持ちの力を使ってみること。
そこに、じぶんらしく生きる自由があります。
そして、その力は、ひとりだけのものではありません。私たちには、相手のことを感じる力があります。相手もまた、自分と同じように、何かを感じ、何かを試しながら生きている。そう想像する力があります。
何ができるかは試してみないとわかりません。でも今から、新しく何かを試せるのでしょうか?
私たちは、ことばも身体の使い方も、はじめは何もわからないところから、試しながら、自由に学んできました。おなじように、手持ちの力で、何でも試してみればいいはずです。
大人になると、いつの間にか、新しく試すことをためらうようになります。でも、それは「してはいけない」のではなく、そう思い込んでいるだけかもしれません。
スピノザは言います。
Imagination requires a sense of others.(想像力には、他者の感覚が必要である)
私たちには、相手と同じような存在であるという
それは制約の中でこそ活かすことのできる最大の力です。じぶんの身の回りは、手持ちの力を工夫して生きる、仲間たちで満ちあふれているのです!
You’ve got the power!(すでにその力があるんだよ)
出典・参照:バールーフ・スピノザ『エチカ』、以下のエンパレットなど
(•注1) コナトゥス(Conatus)とは、ラテン語で「努力」「衝動」「傾向」といった意味を持つことばです。スピノザは、心と身体、人間と自然を、切り離して考えませんでした。私たちは自然の外にいるのではなく、自然の中に生きている。すべてをひとつの自然の働きとして見るこの考え方を、一元論と言います。スピノザにとって自由とは、制約がなくなることではなく、その中で自分に備わった力を発揮することでした。
