Empathemian『A squirrel』

It’s not like what you think.(それは、思い込み)

「ものごとがわかる」という時。
頭の中におさめた知識と思考力のおかげ、と考えますね。

佐伯胖さんは、こう言います。

「ものごとがわかる」のは、すべて私たちの「頭の中」という特定の場所に存在している「知識」という実体に帰属させる、という考え方をとりがちだ。(中略)たとえば、言語の発話や理解を可能にしているのは、文法の知識と語彙の意味の知識という、カチッとした知識であり、それが、現実場面では、談話状況に即して修正されて発話され、また、そういう状況に即して理解する、と。それは、さまざまな状況の可能性を一般化した知識をやはり頭の中に想定し、それが具体的な状況に応じて適応されるのだ、というと考え方になる。」

頭の中にある知識が出てくる、と考えてしまうのは、私たちの思い込み。
ジェームズ・ギブソンは、「知識は環境自体」の中に存在している、と考えました。

レモンのすっぱさも、木々の葉が風にゆれるざわめきも、それらの事象は、人間にとっての「すっぱさ」であり、「ざわめき」です。
動物や昆虫にとっては、すっぱさでもざわめきでもないでしょう。
人間が味わい、感じ取るからこそ、「すっぱい」とか「ざわめく」といった性質が現れてくる、と捉えるのです。

「外界が、その生態の活動を誘発したり、方向づけする性質」を、ギブソンは「アフォーダンス」(affordance)と名づけました。
ある状態を可能にするという意味の動詞、affordする性質という意味です。

日常の風景は、アフォーダンスに満ちています。たとえば:

・椅子は、すわることをアフォードする(椅子があるから、すわるという行為ができる)
・階段は、高いところへ登ることをアフォードする(階段があるから、登れる)
・レモンは、しぼることをアフォードする(レモンの性質、形状によって、しぼるという行為が生まれる)
・バスケットボールは、ドリブルをアフォードする(はずむボールの性質と形状で、バウンドさせながら走るという行為が生まれる)

エンパシームとつくるアフォーダンス空間・時間

エンパシームには、こんなアフォーダンスがあります。

(1)静穏せいおん:静かにすわることをアフォードします。
(2)円相えんそう:ゆっくり指でなぞるふるまいをアフォードします。
(3):移ろいに委ねて、待つことをアフォードします。
(4)発話:空気に響くじぶんの声にふれることをアフォードします。
(5)直観ちょっかん:色・形・記号表現で直観の働きをアフォードします。
(6)ひらめき:ふりかえり、ひと言を紡ぎだすことをアフォードします。
(7)わかちあい:ひと息のことばごとによりそいあうことをアフォードします。

エンパシームとじぶんが一体になる空間。
心身を使ってやりとりする時間。
心身サイズの時空に、新しいことばが生まれます。

頭の中の知識ではなく、その時空が共に生み出す、協働の知性。
そして、生み出されたものを利用し、活用することで生まれる知識。

エンパシーム「あゐてにふすいま」は、相手に付す「いま」をつくるという意味ですが、この時空が「相手」です。
場づくり、時間づくりの道具であり、単位ものさしとなって、あなたの心の働きを促す友。
人間ならではの、呼吸のリズム、身体の動き、発話の特徴。
その相互作用をすくいとりアフォーダンス。

そのアフォーダンスをひきだすのも、心。
・未知のじぶん(これまで気づいていなかったこと)を探索する
・つながり(これまでなかった意味)をつくる
・互いの心によりそう

思い(Purpose)があると、アフォーダンスが生まれます。
見えないけれど、文字どおり、じぶんの身のまわりにあるのです。

Deed、毎日ひとつ。

ゆっくりと、円をえがく。

間[ま]をつくる①[何をどうすることか?]

出典・参照:『毎プラガイド』、『英プラガイド』、以下のエンパレットなど

ギルバート・ライル、知識についてのエンパレット

学びは、じぶんの身に結びつけること

心はどこにあるの?

ジェームズ・ギブソン、アフォーダンスについてのエンパレット

「姿勢」が考えをつくる

その場になれば、思い出す。

ジェームズ・キブソン