内語に親しもう
いつも使っているのに、気がついていないことば、内語(うちご)。声にださず、心の中でじぶんと対話することばです。私たちは、小さい時から身体の外に出すことばとともに、脳の中だけで出力されることばも身につけています。今度はそれを声のことばにして出力し直してみましょう。エンパシームは、声ことばの出力を助け、それを写し出します。
Say a few words that matter. (大切と思うことばを言ってみよう)
いつも使っているのに、気がついていないことば、内語(うちご)。声にださず、心の中でじぶんと対話することばです。私たちは、小さい時から身体の外に出すことばとともに、脳の中だけで出力されることばも身につけています。今度はそれを声のことばにして出力し直してみましょう。エンパシームは、声ことばの出力を助け、それを写し出します。
Say a few words that matter. (大切と思うことばを言ってみよう)
Do it over.
「くりかえし」はいのちのリズムです。柳澤桂子さんは言います「生命が誕生してからこの方、太陽は10の11乗回昇ったり沈んだりしている。人間は地球上に10の9乗回繰り返され、独りの人間を構成している細胞は6の14乗回繰り返されている。くりかえしそのものの中に、私たちは安心感、安らぎを感じるのではないか。」
ある夕方、スーパーのレジにて。中年の女性客が赤ワインを1本を差し出すと、レジの女性は、笑顔でひと言、声をかけました。そのひと呼吸後、その女性は思いがこみ上げてきたのか、突然泣き出しました。レジの女性はカウンターから出てきて、その女性客をやさしく抱きしめました。娘が母親をいたわるような光景。何となく、事情が察せらます。
You’re not alone.(みんな、おなじ)
ことばのおかげで考えることができ、人と心をわかちあうことができます。その根源は身体を使って出す音とリズム。ふれあい、つながるという営みがことばの本質です。声の音とリズムが、身ぶり、手ぶり、表情と結びついて、イメージできるからことばになるのです。ことばは、五感を使った総合的なセンスで、ふれあうこと、やりとりすることです。
To err is necessary. (間違えることが必要条件)
「自己を忘れる」は忘れる話というより、むしろ、忘れる体験を思い出すことです。端的に言うと自然に親しむことです。正法眼蔵には、親しむということばがたくさん出てきます。例えば「山河の親切」。共感的な想像を英語でempathy(エンパシー)と言います。相手を思いやる状態、親しくふるまう行為が「自己を忘れる」修養になるのです。
人間の脳にはマイナスという概念がありません。忘れる、消し去る、といった、キャンセルボタンや、削除キーのような機能はないのです。でも、忘れるというスイッチのかわりに、忘れるという状態にみちびくことはできます。大切なことを学ぶということは「じぶんを忘れている」ふるまいや行為によるものです。忘れていたことに気づくことです。
Unlearn to learn your “self”(じぶんを忘れるを身につけてこそ、学べる)
道元禅師はものごとを逆転させるイマジネーションを明快な論理に集約させます。身心脱落とはなりきってじぶんを忘れること。周りの世界の中に自己投出。 脱落身心とは、そのじぶんをふりかえって自覚すること。身心脱落と表裏一体の、脱落身心。身心脱落するじぶん自身を確かめる自覚(証)によって行為(修)になるのです。だから、修証一如。
Learn to unlearn your “self”(じぶんを忘れる、を身につける)
道元 『正法眼蔵』に「自己をならうとは自己を忘れることだ」ということばがあります。仏道は自己の究明である。そのエッセンスは、自己を忘れること。「身心脱落」であると説きます。じぶんを投げ入れるように、とろけるように、じぶんを忘れることである、と。ところが、実は、その真意にはもっと先があります。身心脱落だけではないのです。
Unlearn your “self”.(じぶんを忘れよ)
ふだん私たちは、身体は内側、環境は外側と、区別しています。でも、内と外はつながっています。空気に包まれているから、呼吸をしたり、会話したりできるのです。空気とじぶんは一体のもの。下條信輔さんはこのように言います。「環境は記憶の外部装置。他者の存在から意識は生まれる。」じぶんとは、環境も全部ひっくるめて、じぶんなのです。
I am a product of my environment.(じぶんは環境の産物)
佐伯胖さんは「共感は、自分自身を空っぽにして、そっくりまるごと、相手の中にはいってしまうこと」だと言います。「相手が見ているモノ・コトを、相手の視点から見て、思わず、自分もそのようにふるまいそうになること。保育も「こどもをケアする」といった「上から目線」ではなく、相互的な関わりで、こどもがケアする世界をケアすること。」
Caring with compassion.