Empathemian, Stevens Creek Mt. Eden Trail

Unlearn to learn your “self”(じぶんを忘れるを身につけてこそ、学べる)

立:自己を忘るるなりを、もう少し、かみくだいてみたいです。
大:忘れるとは、じぶんがなくなることではありません。なくしてしまうことはできません。
立:自分自分と思っている、その縛り自体を、いったん、ゆるめなさい、というかんじですかね。
大:そうです。自己という概念を解きほぐすことです。
立:でもそれは、じぶんがとろけてなくなっていたかのような、夢中か無心の体験がいるわけですね。
大:そうです。概念を解きほぐすといって、頭で考えるのではないのです。

立:考えてみると、人間の脳にも、マイナスという概念がありません。
大:うまいことを言いますね。そう。忘れる、消し去る、という機能はありませんね。 
立:消し去るわけにはいかない。そもそも、消し去るべきものが脳の中にあるわけではないですから。
大:忘れていたかのような状態。後からふりかえると、忘れていたんだ、と思えるような状態。そこにしむけることはできる。それが学びです。
立:脳は、何度も繰り返したもの、重みづけたもの、結びつけたものが優位になるようにできています。
大:そうですね。キャンセルボタンや、削除キーのような、ものはないかわりに。
立:忘れるというスイッチはないのだけれど、忘れるという状態にみちびくことはできる、と。
大:大切なことを学ぶということは、じぶんを忘れている、ふるまいやおこないによるものです。

立:ということは、じぶんはいくらでも変われるということになりますね?
大:もちろんです。あなたが言うところの「じバリア」をはずすこと、やわらげることが第一歩。
立:人間は、じぶん中心に考えるのがデフォルトだとすると、時々、そのじぶんをゆるめる必要がありますね。
大:できれば、毎日一回、静穏のひと時に、じぶんをふりかえる小さなルーティンを持つことです。
立:じぶんを忘れるぞ!というふうに考えることではないのですね。
大:自己とは何か?などという、まずじぶんから、あらかじめ決まった存在である、といったイメージを薄めること。
立:野山を歩いていて夢中になっていたり、何かを無心でつくっていることも、じぶんを忘れる体験ですよね。
大:そのとおりです。ただし、それをふりかえることが、もっと大切です。
立:忘れていたことに気づくこと。気づく体験を、忘れる体験にあわせる、というかんじでしょうか。
大:そうですね。自己を究明していくと、その究明している自己という課題に行きついてしまうのですね。

Empathemian 『ゆだねる』

立:だから、忘れて、忘れていたことを思い出す。忘れているじぶんに、なろうとする習慣をつくるわけですね。
大:仏道では、それが修行です。
立:私たちは、日常生活の中で、修養すること。ゆだねることですね。

自己をならふというは自己をわするるなり④ [親切なふるまいと共感の力こそ]につづく(明日のエンパレット配信後、リンクされます)

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ことばの本質(後編)[思いが伝わるふれあい・共感的想像]

共感の宇宙に生きている

出典・参照:道元『正法眼蔵』現成公案、「大和和尚との対話」(仏法ニコニコ講話 坂口立考編集)

「正法眼蔵」