直して、はじめてわかること

変形性ひざ関節症を克服したYさんのお話です。「リハビリの先生がこう言ったんです。あなたは歩行中、右に曲がる時に、微妙にヒザがねじれていますよ」と。何十年も、曲がるたびに負荷がかかっていたんですね。リハビリのおかげで、山歩きもしっかりするようになりました。歩き続けることで、ヒザへのお礼の気持ちを忘れないようにしています。

You realize it when you do it over.(もう一度やって、はじめてわかる)

野の仏にみちびかれる

50年に渡って、日本全国の石仏のネットワークづくりをなさっているカズコさんのお便り。「いざない、みちびく「エンパレット」のアイディアをいただいて、野の仏へみちびかれるガイドです。野にある仏がみちびくご縁を広げる「縁のパレット」にもなりますね。」たくさんのご縁が合わさるように願って、出会いのチャンスを広げましょう。

Imagine, Empatheme connects us.(エンパシームがつなげる心の世界)

エンパレットの活用法 [メソッドとリソース]

エンパレットは(1) メソッド (2) はげまし (3)きっかけ (4)リソース。あなたをプラクティスへみちびき、はげまし、きっかけを生み出すツールです。ひと息の声で出せることばのタネ(シード)をじぶんでまいて、育てましょう。ものの「見え方」が変わるかもしれません。エンパレットはあなたの未知の路を共に歩みます。

Open the Empallet for the day.(きょうのエンパレットをひらこう)

人はじぶんの物語を語って、生きている。

「生きるとは、人生の出来事ではなく、思い出すことである。思い出して、どのように語るかである。」ガルシア=マルケスは、最後の著作『Vivir para contarla』(生きて、語り伝える)で、生きることと物語をつくることは同じことなのだと言います。人は、じぶんの物語を、そして生きる意味を「物語る」ことで生きています。

Memento Vivir.(生きているってことを思い出して).

水の作法 [手のかたちが覚えている]

5歳の頃、私の家は「井戸水」でした。ポンプから手に水を注いで、飲む時。しぜんに、手のかたちが水のかたちになります。今でも「大切」ということばを聞くと、ふとあの状況が思い出されます。手でつくった小さな器ぶんの水が「大切」ということばの響きと結びついています。水を包む手のかたちが作法の原点。手のかたちで覚えているのです。

Your act is your self.

身をもってつくる、じぶんの鏡

エンパシームは、プラクティスの鏡。じぶん自身とのコミュニケーション体験を捉え、姿勢の鏡に映し出す「じぶん情報」です。姿勢の鏡とは、身をもって、じぶんの後ろ姿を写すこと。エンパシームは、じぶんが親身になって関わる他者によりそい、わかちあう場をつくります。人の痛みをわかる、共感の心、ありのままを受け入れる姿が写っています。

Do it with passion.(心をこめて)

実感の数こそ

「人生は、息の回数ではなくて、息をのむような感動の回数ではかるもの。」マヤ・アンジェロウさんのこのことばは、ルソーの『エミール』にも通じます。「最も多く生きた人とは、もっとも長生きをした人ではなく、生を最も多く感じた人である。」宇宙とふれあう実感の数が多いということ。それは、ふりかえることで思いをつなぐことです。

Life is made of little moments you remember.

Nurture Empathy [養う心]

Nurture(ナーチャー)ということばがあります。育てる、養うという意味です。母親が赤ちゃんにお乳を与え、やさしくいたわる様子。種を蒔き、土に手入れをし、水をまいて、芽生えるのを待つ様子。小さい手間暇をかけ、一日一日、相手の成長と共にあること。親和する空気に包まれて、心が醸成されること。相手と共にあることです。

Nurture your seeds.(じぶんのことばを声のタネにしてまいて、育てよう)

時のかけら [エンパシーム原初体験]

5歳の春。小高い丘陵をのぼっていくと、そこは矢じりの宝庫でした。キラリと光る黒い石は、時のかけらでした。何千年か前にここで暮らしていた人の、時のかけら。じぶんが矢じりになっていた、夢中のかけら。それらは、もうありません。いえ、記憶のかけらになりました。なんどもふりかえることで、じぶんの、時のかけらになっていたのです。

You’re always carrying your time capsules with you.

ひとりになるから、わかる

静かにひとりで「ふりかえる」時間の力。その力で、ふだん刻々と過ぎ去る体験を、味わい、かみしめることができます。それはひとりでないとできません。ひとりになることは時にさみしいけれども、それが共感の力を引き出すに糧になります。じぶんの代わりにはだれも生きられない。でも、みんながおなじように、「ひとりのじぶん」なのです。

No one can live in my stead. But I am not alone.