自己をならふというは自己をわするるなり①[心身脱落は「じぶんを忘れよ」ではない]

道元 『正法眼蔵』に「自己をならうとは自己を忘れることだ」ということばがあります。仏道は自己の究明である。そのエッセンスは、自己を忘れること。「身心脱落」であると説きます。じぶんを投げ入れるように、とろけるように、じぶんを忘れることである、と。ところが、実は、その真意にはもっと先があります。身心脱落だけではないのです。

Unlearn your “self”.(じぶんを忘れよ)