続けられるチカラ ③ [じぶんは続かない人?]
じぶんのことを続かない人だと決めつけないことです。なぜなら「原因と結果」を取り違えてしまうからです。意思が弱い(原因)から続かない(結果)というふうに。たまたま続かなかったことを捉えて、じぶんは続かない人だと思ってしまうのは、じぶんで決めた「原因と結果」にあてはめること。じぶんにかけることばを変えれば、行動も変わります。
Free yourself from your self-judgment.(じぶんで決めつけないで)
じぶんのことを続かない人だと決めつけないことです。なぜなら「原因と結果」を取り違えてしまうからです。意思が弱い(原因)から続かない(結果)というふうに。たまたま続かなかったことを捉えて、じぶんは続かない人だと思ってしまうのは、じぶんで決めた「原因と結果」にあてはめること。じぶんにかけることばを変えれば、行動も変わります。
Free yourself from your self-judgment.(じぶんで決めつけないで)
気分がのらない時、心の中でつぶやいています。やろうと思っているんだけど、めんどうだなぁーって。心の中でじぶんと戦っているから、余計に疲れてしまいます。じぶんでエネルギーを消耗しているのです。 エネルギーをムダづかいしないためには、考えずにはじめること。そのためには「じぶんを攻撃するな」とじぶんに言ってみることです。
What are you fight for?(何で戦っているの?)
「持続力」といいますが、そもそも、続けるというアクションはありません。行動が続いた後で、その事実を後から「続いた」といいます。時間がない!ということばが口をついてでてきたら、思い出しましょう。「じぶんというコップが一杯ではない?」と。時間ではなく、じぶんの心が一杯なのです。静かにすわってじぶんに聞くだけで変わります。
Isn’t my cup full? (コップ、あふれてない?)
ことばは、身ぶり手ぶり、声のふるえ、間など、身体表現によって思いを共有すること。相手とふれあう想像的な行為です。リズムと音を伴ってイメージを湧かせる、共感的な想像こそ、言語の本質です。概念や論理で意味を伝える手段という以前に、またそれ以上に、気持ちの共有なのです。その感覚を身につけることが、ことばを身につけることです。
Philosophy is not a theory but an activity.(哲学は理論ではなく行動)
ヴィトゲンシュタインは、ことばは世界を写す道具ではなく言語ゲームだと言います。決まったルールがあるのではなく、そのゲームによって後から意味が生まれるのです。言語は、相手とふれあう時に交わされる、身ぶり・手ぶり、声のふるえを伴った身体行為です。概念や論理で意味を伝える方法という以前に、またそれ以上に、共感的な想像です。
人気パズル、Wordleからのインスピレーション。パズルの特徴は:だれかが知っている答えを探すのではない。じぶんでやって手がかりを得る。まちがえ、迷いながら前進できる。フィードバックを受けて、未知のことがわかってくる。クイズには決まった答えがあります。人生は、クイズではなく、パズルです。クイズになれすぎていませんか?
Give it a try.(まずやってみよう)
スペイン語のtranquiloをカタカナにしてトランキイロ。英語にも tranquil (平静)ということばがあります。 じぶんではどうにもできないことに、心を取り乱さないこと。バランスをとるためのことばです。Tranquilo!とひとこと、じぶんに言ってみて、その響きを聞くと、すうっと楽になるような気がしますよ。
Tranquilo. (気を楽に)
I was luckly. を日本語にすると何でしょうか?「幸運でした」と言いますね。実はいちばんフィットする日本語は「おかげさまで」です。私たちは、何でもじぶんでしている、と思っていますが、まわりのいろいろなものに助けられています。目に見えないけれど、縁と運の網をたどって、私たちは生きています。「心の引き算」の力。
I was lucky.(おかげさま)
エンパシーム研究開発と参照領域を整理図にしてみました。左側①②はじぶん。右側③④はじぶんの周囲、社会・環境。上側①③は心とことばの世界。下側②④は身体を使った、環境との相互作用の世界。中心部分がエンパシームが提供するテクノロジーとメソッドです。また、インナースピーチに関わるエンパレット集のページとして参照ください。
The way up and down are one and the same.
ヘラクレイトスは言いました。「人は同じ川に足を二度入れることはできない。」川は刻々と変化している。もう一度足を入れる時には、もうさっきと同じではない。じぶんという存在もおなじです。いま、「じぶん」という時には、もう、さっきと同じ「じぶん」ではない。いえ、そのような「変化するじぶん」を、私たちは日々生きているのです。