心のバランスシート② [だって、をやめるだけで変わる]
「だって、〇〇だから。」このことばを言わずに過ごすだけで、気分が大きく変わります。気づかないうちに口にしている、そのことばが出ると、いろんな理由も一緒に出てきます。でも、何も解決しません。それどころか、なんだか余計、息苦しくなります。「だって」をやめると「平気」に過ごせて「しあわせ」が感じられます。お便りからの紹介。
You don’t have to say that.(そのことばは、言わないでもいいんだよ)
「だって、〇〇だから。」このことばを言わずに過ごすだけで、気分が大きく変わります。気づかないうちに口にしている、そのことばが出ると、いろんな理由も一緒に出てきます。でも、何も解決しません。それどころか、なんだか余計、息苦しくなります。「だって」をやめると「平気」に過ごせて「しあわせ」が感じられます。お便りからの紹介。
You don’t have to say that.(そのことばは、言わないでもいいんだよ)
梅田規子さんは言います。「心は見えないが、動いている。空気の動きが融合し、まとまりとして統合する。まとまり同士がさまざまなパターンを生み出す。そのようにして私たちは、心を通わせたり反発したり、影響されたりしている。この世はなんとも不思議で、わくわくする。」エンパシームで、そんな不思議な体験をかいま見ることができます。
Inspire wonder.(ふしぎを胸に)
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、1枚しか絵が売れない苦難を生きながら、精神性の高い絵画を描き続けたが、精神の病ゆえに、みずから命をたった偉大な画家。それが長い間、「定説」でした。
ゴッホは、900通を超える手紙を書きました。最近になり、この膨大な手紙や資料を研究し、綿密な取材を重ね、定説を覆す「ゴッホの死の真相」に迫った人がいます。美術史家・スティブン・ネイファーは『Van Gogh : The Life』で推理を詳述します。
レジリエンス(心の回復力)。心の病が増加する一方の現代社会。単に、脳の問題ではなく。免疫系(食べ物や腸内細菌までも含めた、体全体)の問題です。負けない心というと、ガマンしてがんばるイメージがありますね。でも、いつも無理を強いていたのでは、心も体も持ちません。まず、じぶん自身にやさしく、ひと声、かけることです。
Be resilient.(心の免疫力を高めよう)
「間」というのは、生きていることを確かめる時間の区切り、切断、響きである。間は、何か身をまかせた愉快な、やわらいだ、こころよさ、その美感が、ほのぼのと生まれてくる。道を極めるアートやスポーツに匹敵することが、だれでもできる。静かにすわり、じぶんをふりかえること。1日1回、小さな間をつくり、[いま] に委ねること。
Cultivate your moments. [いま]を耕す。
私たちは、自分の中に何か欠けたものがあると考えますね。でも本当は「じぶんに」何かが欠けているのではなくて、じぶんの存在する世界を忘れているのです。じぶんを包んでいる世界。じぶんもその一部であることを忘れているのです。じぶんのミッシングピースを探すのではなく、じぶんがミッシングピースになっていることに気づくことです。
I am the missing piece.(じぶんのほうがミッシングピース)
ひとりでいることは悪いのか?山折哲雄さんの訴えは痛切です。私たちは「ひとりで生きている」のではなく、みな「ひとりを生きて」います。生まれたその日から、人生はひとりのプラクティス。「ひとり」をプラクティスすることが生きること。ひとりを習い、味わい、深めることが「実はじぶんひとりでない」というありがたさを生み出すのです。
Practice Self.(ひとりを、学べ
古い地名・人名・神社名・伝承から日本人の信仰や意識の古層を解き明かし、民俗学の発展に大きな功績を残した谷川健一さんはこう言います。「古代の歴史は「耳と目の結婚」として象徴的に捉えられる。」この話は示唆的です。人間のことばも音のつながりとイメージを結びつける働き。 耳(聴覚)と目(視覚)の結婚で言語が誕生したのです。
Listen to what you can see.(見えるものに耳を澄ます)
柿の種の周りについたゼリー状の食物繊維を取り去ると、茶色いのツルツルの種がでてきます。が、それは柿の種でなく、種子を包む殻です。本当の種はその中にあります。茶色尾の殻は、いわば「芽生えの素」をいれたカプセルです。エンパシームも、おなじです。静穏の空気に声のタネ(Seed)をまいて、育てます。じぶんを育てるタネなのです。
Nurture your seeds.(タネを育てよ)
私たちの暮らしに最も密接なことば、オノマトペ。使わずに1日を過ごすのは至難です。日本語はオノマトペに満ちた言語。ものごころがつく頃にはオノマトペを使いこなしています。擬態語や擬音語と呼ばれますが、端的にいうと音で表した絵、絵になる音。それは身体感覚。音とイメージは表裏一体です。いいアイディアを紹介します。
Sound is image, image is sound, in your mind.(心の中、音は絵、絵は音)