ひとりのじかんに(Embrace the small moments)
長田弘『一日の終わりの詩集・空の下』のあとがきにこうあります。「人生ということばが、切実なことばとして感受されるようになって思い知ったことは、瞬間でもない、永劫でもない、過去でもない、一日がひとの人生をきざむもっとも大切な時の単位だ、ということだった。」静かにすわり、一日という単位を、ひと息ずつの時間でエンパシームに。
Embrace small moments.(小さなじかんを大切に)
長田弘『一日の終わりの詩集・空の下』のあとがきにこうあります。「人生ということばが、切実なことばとして感受されるようになって思い知ったことは、瞬間でもない、永劫でもない、過去でもない、一日がひとの人生をきざむもっとも大切な時の単位だ、ということだった。」静かにすわり、一日という単位を、ひと息ずつの時間でエンパシームに。
Embrace small moments.(小さなじかんを大切に)
共感は誰かのために時間を使い、相手の気持ちを感じることです。また、感じたことを表現すること、じぶんを語ることでもあります。共感は、人から共感される経験によって身につくもの。相手は人間だけではありません。動物、植物、自然の不思議。自然への共感とは、自然から共感される体験です。自分と相手との境界がなにかしら曖昧になる体験。
Live empathy.(共感を生きる)
生きるとは、何かが起きていることです。人生という名詞にすると、動きが感じられなくなります。Lifeは生きていること・生きていくこと。英語のhappenの、hapという語幹には「起きている」という意味がありまた。”hap”している状態のことをhappyといいます。何かが起きていることが感じられるからhappyなのです。
Life is what happens.
Like a boy playing on the seashore.(海辺であそぶ少年のように)
ニュートンのことば「私は海辺で遊ぶ少年みたいなものだった。ちょっとなめらかな小石があったり、きれいな貝殻があったりすると、それで夢中になっている。真理の大海が手つかずのまま、目の前にあるということも忘れたままで。」夢中になるプラクティス。それは、身の周りのふしぎに近づいて手でふれること、声に出してことばにすることです。
プラクティスの秘訣は、簡・素・要。ミニマル・シンプル・エッセンシャルです。簡とは、ミニマルにえらぶこと。ひとつだけ、手軽に、いますぐに。素とは、シンプルにすること。小さく、やりやすくすること。要とは、エッセンシャルに限ること。いちばん大切な、意味のあることに。ものごとをひとつかふたつに選ぶことで、やりやすくなります。
Simple, Minimal, Essential.
「過去をふりかえる」と言いますね。私たちは「いつ、なにをしたか」という形式で、ふりかえります。でも、ふりかえる過去のできごとは、消え去り、どこにもありません。思い出す「形式」をもつことで、もういちど、あじわえる。ふりかえる時、ふりかえる場の対象を「過去」と呼んでいるのです。後ろをふりかえるとは、前を向いて歩むことです。
You are connected in time.
「いつか、きっと帰ってくれると信じていた。だから引っ越さずにずっと待っていたのよ。」インドで現実におこった、数奇な実話をもとにした映画『Lion』は「存在のありがたさ」に気づかせてくれます。じぶんのために生きている人がいる。じぶんもひとのために生きている。生きていること自体が人のためになる。それが「存在のありがたさ」。
We live for others.
養生(ようじょう)ということばを辞書でひくと、病気の回復、健康の増進という説明が出てきますが、本来、治療や栄養の補給のことではありません。江戸時代の本草学者・貝原益軒は、『養生訓』でこう記します。人間が本来もっている心身の調和を保つこと。心身の平静を保つようにじぶん自身をみちびくこと。やさしい心を持つことです。
Take care.(養生せよ)
共感とは、じぶんと他者がつながっていること、そのもの。もともと、私たちはみな「空気」でつながっています。でも、つながっているものを、ふだんは「わけへだて」しながら生きています。だから「じぶんと相手を結びつける」というのは結び直すこと。もともとつながっていたことを、忘れているのです。共感とは、その事実に気づくことです。
We are already connected!
変形性ひざ関節症を克服したYさんのお話です。「リハビリの先生がこう言ったんです。あなたは歩行中、右に曲がる時に、微妙にヒザがねじれていますよ」と。何十年も、曲がるたびに負荷がかかっていたんですね。リハビリのおかげで、山歩きもしっかりするようになりました。歩き続けることで、ヒザへのお礼の気持ちを忘れないようにしています。
You realize it when you do it over.(もう一度やって、はじめてわかる)