Less is more (3) 静謐に映る

デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイの絵。静謐のじかん以外、なにもない場。とびらが静謐なのではなく、それが感じられる時だけ、心が静謐になるのです。だから、いま、見ているあなたの心が映っているのです。Less is more. Less(それ以外は何もない)を深めると、more (それしかないもの)が引き立ちます。

Less is more.

meanは心の中で言うこと(原義はひとつ)

meanという動詞は、辞書に「意味する」とありますが、どうも日本語にしっくりと来ません。まず、例をあげてみましょう。結論を先取りしましょう。meanという動詞の原義は、こうです。say(心の外に言う)mean(心の中で言う)このように原義を捉えると、meanという動詞のもつ性質が明らかになります。これが英語の心です。

What do you mean?(ハッキリ言って)

You’re good. [いいよ、ではない](ことばの本質は心)

雨あがりの土曜日。水たまりのできた、ぬかる山路。後ろ方から、はしゃぐ声と足音が近づいて来ます。何が起きるか、想像が浮かんだ瞬間、こんな声が聞こえてきました。Hey, you’re good.(水たまりに入らないでね)わざわざやらないでよい、という意味です。日常の会話は、すべて想像の世界です。相手を察する行為そのもの。

I’m good.(だいじょうぶ)

雪の中で飛翔する虎(葛飾北斎 88歳のじぶん)

見ているうちに、もう、雪中に飛翔する虎になっています。「86歳になって、ますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極めた。100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神よ、私のことばがいつわりでないことを、ご覧ください。」葛飾北斎、絶筆の作品『雪中虎図』。88歳で描いた、じぶんの姿です。

I’m flying.(飛んでいる!)

Less is more (2) 情報量をへらす

アンセルアダムズは、アメリカの大自然をモノクロ写真で撮りました。白黒はふたつの階調しかありません。でも、そのおかげで、より印象を深く、採り出すことができます。情報量を減らすことは、情報をへらすことではありません。Less is moreです。情報の量をへらすと印象がふえ、余計なものを取り去ると感動が増えます。

You don’t take a photograph. You make it.(写真は撮るのではない、つくるのだ)

なろうとするから、わかる [アリでも]

アリの気持ちなんてわかるはずない?では、人間の気持ちならわかりますか?じぶん自身の気持ちはわかっているのでしょうか?じぶんもアリと同じぐらいかもしれません。相手の身になろうとしてみるかどうか。気がつくかどうかはそれからです。たしかなことがひとつ。なろうとしなければ、わからない。なろうとするから、わかる可能性が生まれる。

Resonate.(共鳴)

Fun to Imagine (7) [想像の行為がどこでもドアをつくる]

円周率(円周の長さと直径の比)はどこにある?人間の頭の中です。数は人間の想像行為の産物。無限も数えようとすればキリなくできるという概念です。数えるから、数。断片的に見たものをつなげて思い出せるから、夢。想像できるから「どこでもドア」。想像の体験に「まちがい」はありません。確かに、じぶんの世界が編み出されるのですから。

Imagine just like you walk on your trail.(じぶんのトレイルを歩くみたいに想像してみよう)

歩くと、ふりかえれる(2)(花=鼻=端)

花。「はな」は、ものごとの先を表すことば。半島の先(例:長崎鼻という地名)、ものごとの先(出ばな、初っ端)。つまり、はな=端=花=鼻。私たちは漢字で意味をわけることに慣れすぎている。便利だが、母語の起源を知らずに暮らしている。似た光景や現象を捉えて、ことばが生まれた。共通のイメージを組み立て直すと実感が湧く。

To walk is to reflect.(歩くこと、ふりかえれる

歩くと、ふりかえれる(1)(のうぜんかづら)

毎日のように、目にしていても、見えていないことがある。単に名前を知っても、見えてない。でも、ひとつのきっかけのおかげで、それまで、見えていなかったことが、わかる。そして、よく見えるようにある。日々、歩いていれば、いつかきっかけが訪れ、気づけます。歩くと、雲を見え、足音を聞こえ、花の香をかぎ、風にふれられます。他にも。

心の整流化③ [手で紙に書く] 勇気のプラクティス

手で紙に書く行為は、最も身近な勇気のプラクティスです。何を書くのかわからないうちに書き出し、書き間違えます。クワやシャベルで土を耕す行為にも似ています。一回一回が本番です。書くと同時に直すことはできません。いったん書いた後に気づくのです。まちがえるかもしれないという「未知」とふれあう予感が、心の整流化を起こすのです。

Writing is a courageous act.(書くことは勇気のふるまい)