種の中の種子が育つように

柿の種の周りについたゼリー状の食物繊維をそれをとりさると、茶色いのツルツルの種がでてきます。柿の種は、茶色の硬い殻のことではなく、この種の中に入っている種子のことです。柿の種は、いわば「芽生えの素」のカプセル。おなじように、エンパシームの中にはいっている種子は、声のことば (Seed)です。じぶんのことばが育つように。

Nurture your seeds.

「空気に包まれて、忘れていた」じぶんにあとから気づく

木々の葉をゆらす風の香り。木漏れ日で縞模様になった大地。鳥のさえずりと虫の鳴き声。そんな空気に包まれていると、じぶんを忘れているときがあります。何も考えていない、ということに気づいているのではありません。何も考えないようにしている、のでもありません。あとで、忘れていたとしか思えないような時間だったことに気づくのです。

I feel like I’m up in the air.

世界は「原因→結果」だけではない

私たちは「原因→結果」という線の考え方に慣れています。一方、「原因と結果をつつむ場の性質」についてはあまり考えません。岩田慶治さんは、こう言います。「飛ぶ鳥が道を間違わないのは、空中に道があるからである。出発点が到達点だったのだ。このことは人生の生死を考えてみれば、よくわかるだろう。表裏一体、生死はひとつなのである。」

Life is not a one-way street.

ドレミファソラシド、8つの顔

インスピレーション。ピアノの鍵盤「ドレミファソラシド」にひとつひとつ顔をつけるのです。ある日、先生がピアノを引く時の鍵盤のあがりさがりが、ドレミファソラシドという小人の動きに見えたことに得た着想でした。紙を小さく丸く切り取って、ひとつひとつ顔の絵を描き、そっと置いてふたをしめ、開ける瞬間の驚きを想像しながら待ちました。

Inspire imagination.

細雨養花

風雪培土、細雨養花。「風雪」はやがて雪どけ水となり、じぶんという土壌を培う。「細雨」は、やさしく包みこむ空気になる。その包容のおかげで、人は元気を取り戻したり、勇気づけられたりする。息張るだけでは長続きしない。休養をとり、気を休めること。ふだん忘れているけれど、みずからが、じぶん自身への風雪になり、細雨になることだ。

Nurture your Self.

共感の心、あそびの心 [自意識を和らげる]

下手でいいから、やってごらんと言われても、まだ勇気がいりますね。誰も見てなくても「自分は下手だ」と思うとやれないもの。その理由は、物心ついて以来の、物事をわけへだてる習慣です。無意識的に「うまい・へた」「自分のため・誰かのため」など、いつも判断しています。だから、あそぶ(自意識や価値判断を空にする)ことが大切なのです。

Be playful. Let it go.

静寂の開放感 [心のエネルギー]

アルプスの山麓、イタリアのピエモンテ州。

幾重にも重なりあう葡萄畑の丘陵の合間を縫って車を走らせ、ようやくたどり着いた。

煙雨にひっそりと佇む、ロマネスクの修道院。周りに人家はなく、人影も見えない。ゆるやかな谷の傾斜に立つ修道院は全身がレンガ色で、雨にしっとり濡れた屋根の所々が光ってまだら模様に見える。すぐむこうの森は霧に包まれて、その先は何も見えない。

何という静寂だろう。

人はじぶんの物語を語って、生きている。

「生きるとは、人生の出来事ではく、思い出すことである。思い出して、どのように語るかである。」ガルシア=マルケスは、最後の著作『Vivir para contarla』(生きて、語り伝える)で、生きることと物語をつくることは同じことなのだと言います。人は、じぶんの物語を、そして生きる意味を「物語る」ことで生きています。

相手の星になる

上田閑照さんは、こう言います。「見上げている星からこっちをみたらどうだろうか。逆の方から見るという見方の逆転を通してはじめて無限性にふれることができる。自分を出発にして考えるという考え方がどこかで翻らないと、無限性に触れることはできない。そして、無限性にふれてはじめて何かを手放すことができるようになるのだろう。」

静かに待つだけで [共にあることに気づく]

春のトレイルは爽快だ。道の端、目の前の花に、一羽の蝶がひらりと舞い降りた。ゆっくりと羽合わせとしている。そよ風がふいて、なんとも気分よさそうに坐っている。「撮るのではなくて、待つんだよ。」昆先生の声を思い出す。静かに待つだけで、気づけるのだ。いま、蝶とじぶんは、おなじ空気でつながっていること、共にあることを。

Just wait a while.