やさしく、つつむ。
Embrace the moment.(いまというひとときを大切に)
エリック・カール作「ゆめのゆき」より。夢からさめたおじいさんが窓の外をみると雪が積っていました。 おじいさんがいねむりをしている間に雪が降っていたのです。静かにじっとしている時、空気に包まれます。声に出して読む時、声に包まれます。眠りの中で、夢に包まれます。「じっとする、を学ぶ」とは、包まれる実感を思い出すことです。
Embrace the moment.(いまというひとときを大切に)
エリック・カール作「ゆめのゆき」より。夢からさめたおじいさんが窓の外をみると雪が積っていました。 おじいさんがいねむりをしている間に雪が降っていたのです。静かにじっとしている時、空気に包まれます。声に出して読む時、声に包まれます。眠りの中で、夢に包まれます。「じっとする、を学ぶ」とは、包まれる実感を思い出すことです。
アルプスの山麓、イタリアのピエモンテ州。
幾重にも重なりあう葡萄畑の丘陵の合間を縫って車を走らせ、ようやくたどり着いた。
煙雨にひっそりと佇む、ロマネスクの修道院。周りに人家はなく、人影も見えない。ゆるやかな谷の傾斜に立つ修道院は全身がレンガ色で、雨にしっとり濡れた屋根の所々が光ってまだら模様に見える。すぐむこうの森は霧に包まれて、その先は何も見えない。
何という静寂だろう。
谷川健一さんは言います。「民俗学は、歴史学とはちがい、現在から過去へと思い出していきます。」私たち人間の記憶は、歴史年表のように記録されているのではなく、思い出すことば、情景によって、その都度、演出されます。私たちは、 声でことばを紡ぎ、思い出しながら生きています。思い出すことで、想像をつくりながら、生きる存在です。
We are because we remember.(思い出すことで生きている)
心の働く様子が花であり月である。心とはじぶんと春花秋月のぜんぶです。道元禅師が生涯をかけて取り組んだ主題。それは、自然宇宙が一枚の詩画となり、そこで「声のことば」が響いてくる世界です。じぶんが眼前の宇宙と一体化する「イマジネーションのプラクティス」です。宇宙と共に生きるとは、むずかしい理屈ではなく、無心になることです。
Every moment is you.
ルイス・セプルベダ『カモメに飛ぶことを教えた猫』は、猫とカモメ母子とのジョイントベンチャーです。ビジネスでは企業同士の合弁事業を指しますが、ちがうものが互いに力をあわせ、助けあう冒険です。そこには、異なる背景を持った人たちが集まり、違う考えをぶつからせながら、共に感じ、共に歩むことで、共に学んでいく尊さがあります。
The whole is greater than the sum of its parts.
「ものに共感のまなざしをむけ、語りかけることで、共感の土壌を培う。」というと「人間にだけ、共感すればよい」と思うかもしれません。しかし、それは知らないうちに「わけへだて」を定着させ、自他対立的に物事をみる習慣を強固にします。ものにやさしく接することができないのに共感の心を養うことはできません。人間以前の土壌がいります。
Interact.
We are life.
ひとつのいのちは、広大な宇宙の中の、小さな世界。 いのちといのちのあいだに、じかんはある。じかんは、わたしたちがつくるもの。固有のじかんが、いまも生きている。エンパシームの中に、としこさんの声がのこっているエピソードです。
「自己を忘れる」は忘れる話というより、むしろ、忘れる体験を思い出すことです。端的に言うと自然に親しむことです。正法眼蔵には、親しむということばがたくさん出てきます。例えば「山河の親切」。共感的な想像を英語でempathy(エンパシー)と言います。相手を思いやる状態、親しくふるまう行為が「自己を忘れる」修養になるのです。
道元 『正法眼蔵』に「自己をならうとは自己を忘れることだ」ということばがあります。仏道は自己の究明である。そのエッセンスは、自己を忘れること。「身心脱落」であると説きます。じぶんを投げ入れるように、とろけるように、じぶんを忘れることである、と。ところが、実は、その真意にはもっと先があります。身心脱落だけではないのです。
Unlearn your “self”.(じぶんを忘れよ)