雪の中で飛翔する虎(葛飾北斎 88歳のじぶん)

見ているうちに、もう、雪中に飛翔する虎になっています。「86歳になって、ますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極めた。100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神よ、私のことばがいつわりでないことを、ご覧ください。」葛飾北斎、絶筆の作品『雪中虎図』。88歳で描いた、じぶんの姿です。

I’m flying.(飛んでいる!)

Less is more (2) 情報量をへらす

アンセルアダムズは、アメリカの大自然をモノクロ写真で撮りました。白黒はふたつの階調しかありません。でも、そのおかげで、より印象を深く、採り出すことができます。情報量を減らすことは、情報をへらすことではありません。Less is moreです。情報の量をへらすと印象がふえ、余計なものを取り去ると感動が増えます。

You don’t take a photograph. You make it.(写真は撮るのではない、つくるのだ)

なろうとするから、わかる [アリでも]

アリの気持ちなんてわかるはずない?では、人間の気持ちならわかりますか?じぶん自身の気持ちはわかっているのでしょうか?じぶんもアリと同じぐらいかもしれません。相手の身になろうとしてみるかどうか。気がつくかどうかはそれからです。たしかなことがひとつ。なろうとしなければ、わからない。なろうとするから、わかる可能性が生まれる。

Resonate.(共鳴)

Fun to Imagine (7) [想像の行為がどこでもドアをつくる]

円周率(円周の長さと直径の比)はどこにある?人間の頭の中です。数は人間の想像行為の産物。無限も数えようとすればキリなくできるという概念です。数えるから、数。断片的に見たものをつなげて思い出せるから、夢。想像できるから「どこでもドア」。想像の体験に「まちがい」はありません。確かに、じぶんの世界が編み出されるのですから。

Imagine just like you walk on your trail.(じぶんのトレイルを歩くみたいに想像してみよう)

歩くと、ふりかえれる(2)(花=鼻=端)

花。「はな」は、ものごとの先を表すことば。半島の先(例:長崎鼻という地名)、ものごとの先(出ばな、初っ端)。つまり、はな=端=花=鼻。私たちは漢字で意味をわけることに慣れすぎている。便利だが、母語の起源を知らずに暮らしている。似た光景や現象を捉えて、ことばが生まれた。共通のイメージを組み立て直すと実感が湧く。

To walk is to reflect.(歩くこと、ふりかえれる

歩くと、ふりかえれる(1)(のうぜんかづら)

毎日のように、目にしていても、見えていないことがある。単に名前を知っても、見えてない。でも、ひとつのきっかけのおかげで、それまで、見えていなかったことが、わかる。そして、よく見えるようにある。日々、歩いていれば、いつかきっかけが訪れ、気づけます。歩くと、雲を見え、足音を聞こえ、花の香をかぎ、風にふれられます。他にも。

心の整流化③ [手で紙に書く] 勇気のプラクティス

手で紙に書く行為は、最も身近な勇気のプラクティスです。何を書くのかわからないうちに書き出し、書き間違えます。クワやシャベルで土を耕す行為にも似ています。一回一回が本番です。書くと同時に直すことはできません。いったん書いた後に気づくのです。まちがえるかもしれないという「未知」とふれあう予感が、心の整流化を起こすのです。

Writing is a courageous act.(書くことは勇気のふるまい)

心の整流化② [書くとは、刻み写すこと]

書く、描く、掻く、欠く、画く。いろいろな漢字がありますが、「かく」という音の響きで表される行為には共通点があります。それは指先や道具の先で対象の表面を削ることです。何かを写し、残すことです。「かく」の原義はひとつです。それは、写し込む行為、刻み入れる行為、つくりだす行為。じぶん自身の声が心にうつされる、整流化現象です。

Writing is experiencing.(書くという体験)

じぶんという素材でつくるII [タコとじゃがいもの出会い]

Pulpo A La Gallega (タコのガリシア風)。やわらかく茹でたタコとじゃがいもの、組みあわせの妙。脇役も大切な役割を果たします。いえ、脇役がいないと、Pulpo A La Gallegaにはなりません。おいしさの秘密は素材が融合してわけへだてのない状態になること。じぶん自身もひとつの料理としてみると?

Every action counts.(すべての所作が大切)

I’m sorryは「すみません」ではない(共感のことば)

すみません。I’m sorry.は、あやまる時のことば。そんなふうに覚えましたよね。でも、sorryは「ごめん」という意味のことばではなく、相手の気持ちを察した時の心の状態です。sorryの語源は「痛みを感じる」です。あやまる時でなくても、相手に心を察して痛みを感じる時。色々な使い方がありますが、原点はすべて同じです。

I’m sorry.(察するよ)