詩はじぶんを知るきっかけ

木の葉を 日の光に 透かしてごらんなさい。

一枚一枚に 大宇宙の詩が 書きしるしてあります。

それをどうか読みとってください。

坂村真民

渡邊十絲子(としこ)さんは言います。
「詩とは、あらすじを言うことのできないもの。詩とは、伝達のためのことばではない。

詩は、たとえば、雨上がりの路面にできた水たまり。路面の水たまりを踏まないようにということを、わたしはあまり意識しないで歩く。水たまりは、はかないもので、短ければ数時間で消えてなくなる。道路のアスファルトの表面にある微妙なへこみのかたちを、水たまりはおしえてくれる。

あんずのインスピレーション

横長の綿雲が群をなし、空低く、ゆっくりと移動している。空に向かって垂直にのびた赤い枝の先に、小さな白い花がひとつ。淡い春の光に安心して、枝の中に蓄えていた力が湧き出てきたかのようだ。柔らかい花びらに顔を近づけると微かに甘い香りがする。この夏、どっしりと腰をすえたような太い幹に支えられた空間に、土と光と空気の恵みを集めて、独特の甘みを備えた柔らかい橙色の実に結ぶ、アプリコット。ここは、あんず畑。

Nurture Empathy

Nurture (ナーチャー)ということばがあります。

育てる、養うという意味です。

どんな情景が思い浮かびますか?

お母さんが赤ちゃんにお乳をあげ、やさしくいたわる様子。

種を蒔き、土に手入れをし、水をまいて、芽生えるのを待つ様子。

共感をのせるパレット

先人のことば、「いまを生きる」知恵。
それらをどのように受け取り、じぶんと結びつけて活かしたらよいのでしょうか。

中田孝次さんは、こう書いています。
われわれにとって本当に必要なのは、一人の哲学者の思想体系全部、一人の文学者の作品すべてというようなものではない。一人の哲学者の、ほんのわずかな言葉、一人の文学者のほんのわずかな言葉、それが自分の中に入って、核となって、根を下ろし、そこから根がはえていくときに、それが自分のものになる。

そして、ゲーテのことばを引きます。
「世の人は常に独創の話をするが、どういう意味だろう。生まれるとすぐ、世界は影響し始め、死ぬまでつづく。一体エネルギーと力と意思と以外に自分ものがあるか。もし私が偉大な先駆者や同時代の人に負うた点を一々あげることができたら、残るところは極めてわずかだろう。(エッケルマン『ゲェテとの対話』)

放てば手に満てり

はなてば手にてり。

はじめに聞いた時、ふぅっと気が楽になり、救われました。「放てばいいんだよ」という響きです。
このことばは、「古いものを捨てたら、新しいものがやってくる」という意味ではありません。真理は外からやってくるのではなく、じぶんの中にある。所有物を捨てる話ではなく、心の出来事を整えること。

道元禅師『正法眼蔵』第1巻「弁道話」にでてきます。しかも「最上無為の妙術あり」(この上もない不思議な力に出会うことができる)と冒頭に前置きした上で、出てきます。どんなイメージなのでしょう。

共に読み、語り、歩む冒険

『ジップくん宇宙へとびだす』が忘れられません。
ジップくんがテレビの中に吸い込まれ、電波にのって宇宙へ飛びだしてしまうという話です。

忘れられないのは、内容よりも、姉が読み聞かせてくれたことです。5歳の時です。いっしょに宇宙に飛び出して、冒険した気分でした。

私は「宇宙へとびだす」というフレーズが好きでした。時々、思い出すことがあります。先日も、トレイルを歩いていて、オーク樹林の木漏れ日の間から青い空がのぞけた時に、なぜか、このフレーズが思い浮かびました。深い理由はありません。

希いの中に生きている

ヴィクトール・フランクルは、こう言いました。

「これは事実の報告ではない。体験記だ。内側から見た、強制収容所。壮大な地獄絵図は描かれない。
おびただしい小さな苦しみを描写しようと思う。」

「スピノザは『エチカ』の中でこう言っている。
「苦悩という情動は、それについて明晰判明に表彰したとたん、苦悩であることをやめる」

愛語を思い出す

愛語あいごよく廻天かいてんのちからあることを学すべきなり

愛語とは、やさしいことばをかけることです。親しみの心を抱くような心のこもったことば、愛語には、天地をひっくり返す力があるというのです。

道元禅師『正法眼蔵』45巻の中の「菩提薩埵四摂法」(ぼだいさったしっしょうほう)の巻。そこに、菩薩行(ぼさつぎょう)すなわち「悟りのための」修行のエッセンスがあります。それは四つの行いです。

布施ふせ。見返りなく、あたえること。

愛語あいご。やさしいことばをかけること。

利行りぎょう。人のために自分を忘れて尽くすこと。

同事どうじ。わけへだてをしないこと。

心の路をひらく

梅田規子さんは、長年、ニューヨーク大学で音声研究の要職をおさめた後、心の研究に専念しました。

「音韻とか音節という言語単位が、それが現れる場によって、自由自在に変化する。私たちがどんなしゃべり方をしているかは、その現象が起こる場が決めている。私は、その変幻自在な変化を素直に受け入れて、何年もかけて、幾重にも重なり広がる大きな階層波を発見した。そして、その変化の動きこそが、私たち人間の命のエネルギーであるのみならず、生きとしいけるもの、そしてそれらを育む地球の自然が持つエネルギーだということを理解するようになった。

実感の数

じてんしゃで やってきた
きいろくて あかい うみのそらが
みずたまりになった 
そのなかに はいって
ぼくも きいろくてあかいみずに なるよ

6歳の、ある少年の詩。おどろきの声が発せられる時に、自然に詩ができるのですね。

マヤ・アンジェロウさんは、こう言います。

Life is not measured by the number of breaths you take but by the moments that take your breath away.