やまと絵師 吉泉『ほどよい!』

Slow down.(あせらずに)

縁のチカラで、ある対話の機会をいただきました。

吉本徹也さんは、こう言います。

「人間がつくっている、というより、自然がつくっているんです。描いているのは、自然の手になっているじぶん。」

「速く塗ろうとすると、うまく、色が塗れないんですよ。乾かないからね。ちょうどいいぐらいの速さで塗らないと。乾くのと、進んでいくのとがおなじぐらいでないと。朱はものすごくむつかしいんですよ、丹生ですよね、水銀が変わっていくスピードがあるみたいでね。」

「たくさんつくろうとするとね、欲があるから、ちょっとでも速くしようとしてね。それだとうまくいかない。そういうことに評価がないですよね、いまの世の中は。待てない。エンパシームは、自然と人間の調和をとりもどそう、というところがあると思います。」

「いつも言うんですけど、ぼくの絵がいいんじゃなくて、見ている人がいいんです。エンパシームも使っている人がいいから、それがうつるんだな、と。エンパレットでも書いてましたよね、月の美しさは、あなたの心。あなたが月です、と。共感も人のためにじゃなくて、人の中に、そのものになるってっことですよね。」(*注1)

It resonates.(ココロが響く)

ふだん、私たちは、美しい絵があって、それを見ていると思っています。
そういう順番で考えることになっているからです。
でも、真実はちがいます。

美しい絵と、それを感じとる心は、同時です。
本来、わけへだてることはできません。

「美しい絵」なるものが先にあるのではなくて、ココロが動いたことが美しいのです。
そのことが感じられることが、目の前に現れている、美しい絵の存在なのです。

あなたのココロが絵になっています。

実は、ほかにも、おなじようなことがたくさんあります。
たとえば:

ことばがあって、それを声で出している。
記憶があって、それを思い出している。
体験があって、それをふりかえっている。

そう、思い込んでいます。
けれど、やはり、真実ではありません。

声で放つから、ことばになる。
思い出すから、記憶として感じられる。
ふりかえるから、体験としてあらわれる。

ふりかえりは、決して、何かのオマケではありません。
ふりかえることが、生きているということです。

今日見た、「美しい絵」を思い出してみてください。
心の中に絵があるというより、あなたのココロが絵なのです。

そのように、じぶんがつながる現象そのものが、ココロです!

出典・参照:吉本徹也さんとの対話、以下のエンパレットなど

(*注1)夢と共感 [明恵上人]

共感の心は月かげ[エンパシームの中をのぞく]

そのものになっちゃうこと

待つプラクティス

ふにゃーら風放浪記