Empatheme, Sunnyvale, California

江戸時代の禅僧・明恵みょうえ上人は、月の歌人でもありました。

隈もなく 澄める心の 輝けば
  我が光とや 月思ふらむ

「隅もないほどに澄んだ心を月が見て、じぶんの光だと思うかもしれない。」 明恵上人自身が月になり、世界を見ている歌です。

古来、花を歌うのは、花になること、月を歌うということは、月になることでした。
明恵上人の心境にいたるのは、一朝一夕ではありません。
いえ、一朝一夕ごとに、ひとつずつ、共に感じる心を育むことなのでしょう。

宇宙・自然に包まれ、私たちは、いつも共に感じる「相手」と暮らしています。人でも、他のいのちでも、「もの」でも、わけへだてはいりません。

想像してみることです。

うーん、想像するっていても、あまりゆとりがないなぁ。
そのように、思ってしまう必要はありません。

実は、私たちは毎日のように、ひとり静かに、想像のじかんを過ごしているのです。
それは、夢です。

明恵上人は、その生涯の大半、40年あまりにわたって、じぶんの見た夢について克明につづりました。

夢には「原因→結果」の理屈にはあてはまらないエピソードが次々に現れます。
夢では、想像が自在にはたらき、じぶんがいろんなものになっています。
もちろん、作者はみな、じぶんの想像力です。

夢は、物事をじぶんと結びつける、自然なプラクティス。

ユングは、意味のある偶然の一致を「シンクロニシティ」(共時性)と呼びました。
そのような出来事を、物事の全体像や結びつきを考える手がかりにしたのです。
私たちはすでに、その秘密を知っています。夢はその宝庫です。

夢のきっかけを大切に。

出典:『明恵上人全集』、河合隼雄『明恵 夢を生きる』、C. G. ユング『自我と無意識』