あんずのインスピレーション
あんずの花のエピソードです。想像が自由にかけ巡る。彼らと同じ土の上を歩き、同じ光に包まれ、同じ空気に触れて、夏に実るあんずの柔らかな手触りと、独特な風味を思い浮かべている。五感が共に働いて、いまというこのひとときの、じぶんを取り巻く空気が「想像の回路」になる。じぶんとは、想像の空気に包まれた身辺土壌のことなのだ。
I am inspired.
あんずの花のエピソードです。想像が自由にかけ巡る。彼らと同じ土の上を歩き、同じ光に包まれ、同じ空気に触れて、夏に実るあんずの柔らかな手触りと、独特な風味を思い浮かべている。五感が共に働いて、いまというこのひとときの、じぶんを取り巻く空気が「想像の回路」になる。じぶんとは、想像の空気に包まれた身辺土壌のことなのだ。
I am inspired.
Seedは「タネをまく」という動詞です。タネをまくとは、将来の成長のために準備をすること。ところで、スポーツのトーナメントの大会でシードとは、あらかじめ順番を与えられる選手のことです。対戦表に書き入れる行為が、あたかもタネを植えるかのように見えることから、シードと呼ばれるようになりました。つまり、シードは期待の表れです。
英プラ、毎プラ、ともに、エンパシームの中にシード をつくります。シードは、あなたのプラクティスでできる、声ことばのタネ。エンパシームの中にタネがまかれます。ひと息ごとの声を記録します。でも、単なる録音ではありません。静かにすわり、流れに委ねて身体から出すときのじかんが入っています。後で気づきをうる「プラクティスの証」。
Sow a seed.(タネをまけ)
ガチャ、と音がして、そのヒモがくるくると回りだした。「なんだろう、これ?!」父がレバーをガチャリとすると、キュルキュルという音がした。もう一度、ガチャリ。すると、声のぼくが飛び出してきたのだ。声に色や模様をつけ、「じかん」の粒を並べたり、分かちあう発明は、4才の夏、ソニーのテープレコーダと出会ったあの時に始まった。
Life is wondrous.(フシギは楽しい)
おいしい焼きおにぎりとは?香りをかぎ、音を聞き、色を見て、丹念に、手を動かす。みまもる姿勢が、おいしさに変わる。すべては自然の力。その現象のまわりを、手入れするだけ。あせらずに、楽しみ待つこと。人のためにつくるから、心がこもる。みんなでわかちあえるから、おいしい。七輪炭火の焼きおにぎりは、じぶんをプラクティスする場。
Relish your moment.(この時を味わおう)
ヘンリー・ソローは言います。「ゆっくりすることが哲学のはじまり。知恵は調べることでなく、じっくりみること。」木、花、葉、土、水、空気。あらゆるいのちにふれることです。はじめに共感があり、体験を深め、自然について繊細になること。その後から、知識が結びつき、学ばれるのです。自然の営みに触れることが学びの原点です。
Slow are the beginnings of philosophy. (ゆっくりすることが哲学のはじまり)
人民の人民による人民のための政治。リンカーン大統領のゲティスバーグ演説は、of、by、for という3つのことばで思想を語ります。政治の中心は人民。おなじように、学びの中心は、共感。共感の学び、共感による学び、共感を深め、活かす学び。相手の身になり、じぶんと物事を結びつけること。エンパシームは共感による学びを助けます。
Learn to live empathy.
50年に渡って、日本全国の石仏のネットワークづくりをなさっているカズコさんのお便り。「いざない、みちびく「エンパレット」のアイディアをいただいて、野の仏へみちびかれるガイドです。野にある仏がみちびくご縁を広げる「縁のパレット」にもなりますね。」たくさんのご縁が合わさるように願って、出会いのチャンスを広げましょう。
Imagine, Empatheme connects us.(エンパシームがつなげる心の世界)
エンパレットは(1) メソッド (2) はげまし (3)きっかけ (4)リソース。あなたをプラクティスへみちびき、はげまし、きっかけを生み出すツールです。ひと息の声で出せることばのタネ(シード)をじぶんでまいて、育てましょう。ものの「見え方」が変わるかもしれません。エンパレットはあなたの未知の路を共に歩みます。
Open the Empallet for the day.(きょうのエンパレットをひらこう)
「生きるとは、人生の出来事ではなく、思い出すことである。思い出して、どのように語るかである。」ガルシア=マルケスは、最後の著作『Vivir para contarla』(生きて、語り伝える)で、生きることと物語をつくることは同じことなのだと言います。人は、じぶんの物語を、そして生きる意味を「物語る」ことで生きています。
Memento Vivir.(生きているってことを思い出して).