続けられるチカラ ⑥ [みんなのチカラをいただいている]
私たちはいつも、まわりのチカラに助けられています。ひとりでいても、ひとりではありません。気づいていないだけです。例えば、空を見上げて、おもしろい形の雲だなぁと思う時。じぶんとおなじように感じる人がいます。その雲のおもしろいと感じるのが、世界にじぶんひとりだけとは思いませんよね。今度空を見上げたら想像してみましょう。
Serve others.(人のために)
私たちはいつも、まわりのチカラに助けられています。ひとりでいても、ひとりではありません。気づいていないだけです。例えば、空を見上げて、おもしろい形の雲だなぁと思う時。じぶんとおなじように感じる人がいます。その雲のおもしろいと感じるのが、世界にじぶんひとりだけとは思いませんよね。今度空を見上げたら想像してみましょう。
Serve others.(人のために)
なぜ続かないのか?正解はひとつではありません。原因は無数にあるかもしれません。何もしないうちから、続かなかったことを考えても助けになりません。3日以上続いたら、ふりかえるとよいのです。ただ自然にできた、ということに気づくでしょう。続いてから、できたということを確認すれば、もっと続くようになります。発想の転換です。
Don’t be trapped in there’s always one right answer.(いつも正解がひとつある、って思い込まないで)
じぶんのことを続かない人だと決めつけないことです。なぜなら「原因と結果」を取り違えてしまうからです。意思が弱い(原因)から続かない(結果)というふうに。たまたま続かなかったことを捉えて、じぶんは続かない人だと思ってしまうのは、じぶんで決めた「原因と結果」にあてはめること。じぶんにかけることばを変えれば、行動も変わります。
Free yourself from your self-judgment.(じぶんで決めつけないで)
ことばは、身ぶり手ぶり、声のふるえ、間など、身体表現によって思いを共有すること。相手とふれあう想像的な行為です。リズムと音を伴ってイメージを湧かせる、共感的な想像こそ、言語の本質です。概念や論理で意味を伝える手段という以前に、またそれ以上に、気持ちの共有なのです。その感覚を身につけることが、ことばを身につけることです。
Philosophy is not a theory but an activity.(哲学は理論ではなく行動)
ヴィトゲンシュタインは、ことばは世界を写す道具ではなく言語ゲームだと言います。決まったルールがあるのではなく、そのゲームによって後から意味が生まれるのです。言語は、相手とふれあう時に交わされる、身ぶり・手ぶり、声のふるえを伴った身体行為です。概念や論理で意味を伝える方法という以前に、またそれ以上に、共感的な想像です。
勇気は、突然に出てきません。勇気の素は「素直」です。真実とか勇気といったことばは、その字面や音の響きから、何かすごい決意がいりそうな緊張感があります。でもそれは、どこかでじぶんを飾ったり、構えたりするからかもしれません。だれにも見えないじぶんが真のじぶんです。素直に、わからないことはわからない、と言ってみることから。
If you tell the truth, you don’t have to remember anything.(真実を語れば何も覚えておく必要がない)
I was luckly. を日本語にすると何でしょうか?「幸運でした」と言いますね。実はいちばんフィットする日本語は「おかげさまで」です。私たちは、何でもじぶんでしている、と思っていますが、まわりのいろいろなものに助けられています。目に見えないけれど、縁と運の網をたどって、私たちは生きています。「心の引き算」の力。
I was lucky.(おかげさま)
The way up and down are one and the same.
ヘラクレイトスは言いました。「人は同じ川に足を二度入れることはできない。」川は刻々と変化している。もう一度足を入れる時には、もうさっきと同じではない。じぶんという存在もおなじです。いま、「じぶん」という時には、もう、さっきと同じ「じぶん」ではない。いえ、そのような「変化するじぶん」を、私たちは日々生きているのです。
鏡にうつるじぶん(1)[意外な事実の発見] の続編です。鏡は、物理現象だけではなくて、認知現象。そして、脳と身体の習慣。鏡に映っているのは、むきあっているじぶん。そこで、もう一枚、隣に鏡を置いてみると何が見えるでしょうか?鏡の中の鏡の中のじぶんと、それをながめているじぶん。他者から見えるじぶんと、じぶんでむきあうじぶん。
What’s left?(何が残っている?)
The way up and the way down are one and the same.(のぼり坂とくだり坂、どちらもおなじ道)
落花生は不思議な植物です。地中にカプセルをつくって実を結ぶ花。実は、土の中に、カプセルができるから、実ができるのです。カプセルができないと実にはならない。私たちは、どうも「原因→結果」と「手段→目的」という、後づけの考えに慣れすぎています。何でも人間の都合であてはめるというルールに。落花生はそんなふうに考えていません。